イラクから来たインディアン

アメリカン・プロレス界には古くからインディアン・ギミックのレスラーが活躍しておりました。地域によって、カウボーイ・ギミックのレスラー(スタン・ハンセンやボブ・オートンなど)とベビーフェイス/ヒールが入れ替わることがありましたが、多くは「誇り高い戦士」というイメージで売り出されており、羽根飾りのコスチュームをまとって顔には刺青ふうのペイント、「ウララララ」と雄叫びを挙げ、インディアン・デスロックとトマホーク・チョップを武器に戦う、というのが典型的なスタイルです。


このスタイルで最も有名なのがワフー・マクダニエルで、彼は本物のネイティヴ・アメリカンでした。「ワフー」というのは観客が挙げる歓声から取ったものです。


近年では、『リトルバスターズ!』に登場する能美クドリャフカという人物の口癖として、萌えファンに親しまれているようですが、元祖はインディアンのレスラーです。

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わふー。(偽物)



ワフー。(本物)


彼は本物のネイティヴ・アメリカンでしたが、その成功を受けてインディアン・ギミックのレスラーが何人も生まれます。イタリア系のジョー・スカルパがチーフ・ジェイ・ストロンボーに変身したり、プエルトリコの帝王カルロス・コロンが若き日にチーフ・ブラック・イーグルを名乗って、インディアン系の大物ビッグ・コマンチの相棒に抜擢されたり、メキシコ系のチーフ・ホワイト・フェザーなる選手が国際プロレスに来日したことなどがありました。1990年代になっても、映画『ダンス・ウィズ・ウルブズ』のヒットを受け、ネイティヴ・アメリカンの若手選手クリス・チェイヴィスが「タタンカ」を名乗っていたこともあります。


そんなインディアン・レスラーの中に、ビリー・ホワイト・ウルフという選手がいました。

これまた典型的なインディアン・ギミックのレスラーで、1960年代から70年代にかけて北米西北部やハワイなどで活躍し、日本には「チーフ・ホワイト・ウルフ」の名で日本プロレス国際プロレスに参加しています。



ところが1974年、突如アラブ人ギミックの「シーク・オブ・シークス・オブ・バクダッド」に改名して新日本プロレスに参戦。
実はこれが彼の本当の出自であり、バグダッド出身のイラクだったのです。


このギミックは日本だけで、帰国してからはふたたびインディアン・ギミックに戻りました。


アメリカ・プロレス界には古くからアラブ人ギミックのレスラーも存在し、古くは、1920年代ごろに「アリババ」を名乗るレスラーが旧NWAチャンピオンになった記録があります。
アラブ人ギミックを確立させたのはミシガン州出身のジョージ・ハーファットこと、ギミック上ではアンマン出身である、ザ・シークです。

アラブ風のスカーフを被り、試合前にはアラーの神に祈る儀式を行い、ファイアーコットンを用いて火炎攻撃、そしてフィニッシュはキャメルクラッチというパターンが、シークによって確立されました。


ザ・シークが年齢的衰えとファイトスタイルの古さによって表舞台から姿を消すと、1979年にはテヘラン出身の正統派レスラー、コシロ・バジリが「アイアン・シーク」に改名してヒールに転向します。ザ・シークの記憶がまだ残っていたため観客の反応は鈍かったのですが、その年にテヘランアメリカ大使館がテロリストに占拠される事件が発生し、イランへの注目が高まったことによってアイアン・シークはトップ・ヒールとなります。


この流れを見てか、1981年にはビリー・ホワイト・ウルフも、本名に「シーク」の称号を付けた「シーク・アドナン・アル=ケイシー」に改名します。アラブ人の出自を全面に出し、プレイング・マネージャーとしてクラッシャー・ブラックウェル(「アヤトーラ・ブラックウェル」に改名させた)を配下に置き、ケン・パテラを「アラブマネー」で買収するというアングルも見せます。


1990年に湾岸戦争が勃発すると、アル=ケイシーはマネージャーとしてWWF(現在のWWE)に登場します。WWFでは鬼軍曹ギミックのベテラン、サージェント・スローターをアメリカを裏切ってフセインに味方する売国奴に変身させ、スローターのセコンドにはアイアン・シークこと「カーネル・ムスタファ」とアル=ケイシーこと「ジェネラル・アドナン」を付けて、反米軍団vs愛国者軍団(ハルク・ホーガンアルティメット・ウォリアーら)と抗争するというアングルを組みました。


イラン・イラク戦争では敵同士だった国出身の、アイアン・シークとシーク・アドナン・アル=ケイシーがいっしょのチームに入って「反米」をぶち上げていたのだから、本人たちの心情はいかなるものだったでしょう。こういう複雑で微妙な問題を「いんだよ細けえことは」で片付けてしまうのがビンス・マクマホンのすごいところです。


しかし、世論はこの悪ふざけのようなアングルを受け入れようとせず、各メディアから批判が殺到。湾岸戦争終結するや、スローターがホーガンに敗北して「反米軍団」は解散となりました。


アイアン・シークは、ダーレン・アロノフスキー監督の映画『レスラー』に登場する、イラン人ギミックで主人公のライバル「アヤトーラ」のモデルになっています。

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しかし、インディアン→アラブの富豪→イラクの将軍とギミックを乗り換え続け、自らの出自もネタにし続けたアドナン・アル=ケイシーの名を覚えている人は少ないでしょう。彼もまた国際社会に翻弄され続けた人物でありました。


ちなみに、2003年〜2005年ごろにもWWEに「モハメド・ハッサン」を名乗るアラブ系レスラーが登場しましたが、テロリストを思わせるキャラクターにテレビ局が難色を示し、短期間の活動にとどまりました。もうプロレスに民族対立を持ち込む時代ではなかったのです。