新・おっぱい映画ベストワン

一応自分用の覚え書きとして記録しておこっと。

f:id:washburn1975:20210328073249j:image

もう公式のお許しも出たし、ネタバレとか配慮はしてません。あと未見の人が読んでもわかるようには書いてません。

 

初日の朝、まだ開店してないイオンモールの映画館に行って観てきたんです、『シン・エヴァンゲリオン劇場版』。

 

 



オレもエヴァンゲリオンはリアルタイムで見てきた世代です。テレビシリーズは地元では放送されてなかったので、東京に住んでる友だちのお姉さんにビデオを送ってもらって見たりしてました。そんで最終回がアレだというのも知ってから見たし、劇場版もまたアレだというのも知ってから観にいって、本当にアレだったという記憶がね、ちゃんとある世代なわけですよ。

新劇場版も、『序』は公開規模も小さいし大して興味がわかなかったから、観にいかなかったんだけど、『破』でどうやら話が違うという評判を聞いてね、観にいったらあんまり面白かったんで、車で1時間以上かかる遠くの映画館(『破』の公開規模もそんなに大きくなかった)まで、2日続けて観にいったんですよ。

そんで『Q』でまた何がなんだかわかんないものを見せられて、それから9年、特に期待もせず漫然と待ってたという感じですかね。

 

テレビシリーズや旧劇場版の、ギスギスした雰囲気にエヴァの本質を見出すファンもいるんでしょうけど、オレは新劇場版のとくに『破』で、ようやく自分が欲しかったものを与えてもらったというタイプです。だから、今回の映画も素直に楽しめましたね。

 

いや、これおかしいだろという点はいっぱいあるんですよ。

あのピアノ線はどこから吊ってんだよとか、なんで赤くなった世界がパナソニックのタフノートパソコンでハッキングするだけでシュバッと直せるんだよWindowsのサポートもとっくに切れてんだろとか、滅びかけてる世界で巨大宇宙戦艦やら大量のエヴァもどきやら誰がどうやって作ってるんだよとか、ケンスケのジムニーは明らかに新車だしナンバープレートとか車検とかどうしてんだよとか、だからあの大塚明夫はどこの誰なんだよとか、そういう疑問は「アニメだから」で頭の隅に追いやるにしても、「スケール感おかしすぎて今どこで何やってんのかさっぱりわかんねえ」「敵が多すぎる&一体一体が弱すぎてアクションの楽しみがない」というのはいかんともしがたかったですねぇ……。

綾波が農作業をやる場面の、思想性は意見が分かれるところもあるでしょうけど、プラグスーツに姐さんかぶりと袖カバーで田植えをするのは絶対ギャグだと思うし、アスカは出番の半分ぐらい裸だし、マリは出てくる全部のカットでおっぱいが揺れているのもすごいと思ったです。『エヴァンゲリオン』は貞本義行のほっそりしたキャラデザもあって、絵的にはそこまで巨乳ってわけでもないんだけど、今回はとにかくマリが一挙一動するたびにぷりんぷりんのゆっさゆっさなので、こちらの知能指数を下げて「難しいこたぁ知らん!」と諦めさせる効果がすごいです。絵で揺らすだけでなく、セリフでもマリが自分で「乳の大きいいい女だよ」と言うダメ押しまであります。うちのブログで歴代一番反響があった記事は「おっぱい映画ベストテン」なんだけど、いま募集したら『シン・エヴァンゲリオン』が上位に入るのは間違いないです。

おっぱい映画ベストテン:結果発表 - 男の魂に火をつけろ! ~はてブロ地獄変~

 

新劇場版は、旧劇場版に比べて性的なオブセッションがすごく弱まってるんだけど、その分マリのおっぱいがイキイキと揺れるようになったのが興味深いですね。普通、男は歳を取るとおっぱいより下半身のほうにフェティシズムを向けるものですよ。庵野秀明監督はそんな衰えとは無縁の人なのか、それとも性的な衰えの結果として幼児性が亢進してきたのか。この辺は『破』と『Q』の間にあったはずの幻の『急』と並び、語られざる謎として残りそうです(残りません)。

 

マリのおっぱいで知能指数を下げた効果もあり、後半になって恒例の人類補完タイムが発動すると、いろんな考察がだいたいどうでもよくなります。綾波が何人目でアスカがクローンでとか、そんなのどうでもいいんです。アレは漫画俳優であってどれでも綾波だしアスカなんです。

ループする世界に気付いたシンジくんが、全てのエヴァンゲリオンを消滅させることでループの仕組み自体を書き換える、という『魔法騎士レイアース』とか『魔法少女まどか☆マギカ』でもやってた理屈は納得できるし、そこでカヲルくんあたりが繰り出してくる、例によってわかるんだかわかんねえんだか微妙なメッセージも、広げるだけ広げた風呂敷を畳めない監督の逆ギレとしか思えなかった旧劇場版とは違い、色々あったけどエヴァンゲリオンと歩いてきたこの25年も悪いことばかりではなかった、という人間の温かさみたいなモンを感じましたね。ただ、オレは『さよならジュピター』が別に好きじゃないので、あそこで流れるユーミンの曲にそんなにノれなかったのは残念なところでした。

シンジくんとゲンドウが東宝の特撮セットの中で戦うあたりは、いかにも特撮マニアがやりそうな演出だなと微笑ましかったし、親子対決の顛末がほぼ刃牙と勇次郎のエア夜食になってたのも個人的には好きです。

f:id:washburn1975:20210328092112j:image

f:id:washburn1975:20210328092116j:image

(エア夜食はよく揶揄されるけど、あれで刃牙は勇次郎に植え付けられた価値観から卒業して、戦って勝つ以上に父を乗り越えたと思っている)

 

いい歳なのに「大人になれ」と言われるのはイヤかもしれないけど、でも作中のシンジくんもアスカも綾波もマリもそうであるように、どこかに子どもの要素を残していても、本当にずっと子どものままではいられないじゃないですか。今回の映画で「置いていかれた」とか言ってる人たちだって、本当に20年前とまったく同じではないでしょう。オレだってそうだ。すっかりおじさんになって、すたみな太郎で脂っぽい肉を腹に詰め込むより麦飯にとろろをかけてすする方が好きになったし、オタクに優しい黒ギャルより夫の三回忌を終えた喪服の未亡人にそそられるようになった。人生ってそういうものです。

 

アスカとシンジが、お互いに「昔は好きだった」と言って別れ、別のパートナーを得て大人になる(アスカはおっぱいが大きくなり、シンジも緒方恵美から神木隆之介に声変わりする)のも、裏切られたと感じた人もいるようですが、そういうことってありますよね。オレもね、30歳ぐらいのころ、中学の同級生と飲み会があって、好きだった女性に「あんたにも好きな子ぐらいいたんでしょ、誰だったの」と絡まれて、ムカついたので「おめえだよ馬鹿」と言ったことがありました。だからって何もないですよ。アスカと違って向こうはこっちのこと何とも思ってないし、こっちだって他にパートナーの女性がいたし。だけどそうやって、大人になってから思春期の恋愛に落とし前をつけるってのも、悪いものじゃなかったです。わりといい気分でしたねぇ。

 

ところでうちの母上様は、『13日の金曜日』のとくに「6」や「7」ラストのショック演出を見て、絶対死なないジェイソンにすごく恐怖をおぼえていたんですけど、「8」のラストで、ニューヨークの下水に流されたジェイソンが子どもに戻ったのを見て、その恐怖から解放されたというんですね。

 

13日の金曜日 PART8 ジェイソンN.Y.へ [DVD]

13日の金曜日 PART8 ジェイソンN.Y.へ [DVD]

  • 発売日: 2005/03/01
  • メディア: DVD
 

今回の映画も、オレにとってはそういう効果がありました。憑き物落としですよ憑き物落とし。