「鉄人」の呪縛

この話題については、やっぱりオレも書いておくことにします。


プロレスラー志望だという中学3年生によるこのツイートに、小島聡がこう答えます。
そして、教えられた少年の答えがこちら。
いい話じゃないか。そしてコジは今日も考えています。
コジは相変わらず真面目だなぁ。


でもまぁ実際の話、プロレスがやらせかやらせじゃないかっていったら、そりゃやらせに決まってますよ。
プロレスは事前に勝敗や試合展開が決まっていて、レスラーはそのシナリオに沿ってファイトを演じます。これは揺るがせにできない事実です。ファイトがいくら過激で真剣で危険であっても、「それが事前に演出されたものである」ということに変わりはありません。


でもね、そもそも「やらせ」って言葉にはネガティヴな価値づけが含まれてるでしょ。「プロレスはやらせだ」って言うのは、「プロレスなんてつまんねえ」って言ってるのと同じなんですよ。生徒が好きで観てるプロレスのことを、教師風情が「あんなものはつまらんから観るな」なんて言う権利がどこにあるんですか。


もっと言うと、「やらせ」って単語には演出する側(プロレスでいえばマッチメイカー、テレビ番組でいえばディレクターか)の力を大きく見積もり、パフォーマーを軽視するニュアンスがあるじゃないですか。要するに「レスラーなんて、会社に言われた動きをやってるだけの人形なんだぞ」と言ってるに等しい。これは許せんな。同じシナリオでも俳優によって演技は変わるし、同じ楽譜を渡されたって演奏家が違えば音はまったく異なります。プロレスだって同じです。100回やれば100通りの試合が出来上がるのがプロレスです。プロレスがやらせで、プロレスラーがつまらない人間だって言うなら、学校の授業だって学習指導要綱と教育委員会が決めたことをやるだけのやらせだし、教師なんかただ教科書を読み上げて板書するだけのくだらない仕事じゃないですか。
「プロレスはやらせだ」って言う人がいるなら、「あんたの仕事だってやらせじゃないか」って言い返してやればいいんですよ。突き詰めれば、世の中にやらせじゃない仕事なんてないんです。仕事ってのは、誰かがやってほしいことをやるからお金がもらえるんです。それは誰かがやらせてるってことなんですから、「やらせ」なんですよどんな仕事だって。




とはいえ、こんなものは言葉遊びにすぎません。



日本のプロレスは特異で、発祥の地であるアメリカでは派手なギミックや荒唐無稽なアングルを楽しむもの。観客はビールでも飲んでゲラゲラ笑いながら観戦するのですが、日本ではストーリーラインにリング下の事情が絡むことは歴史的に見て少なく、ファンは選手の一挙手一投足を固唾を飲んで見守る傾向があります。もちろん、DDTみたいなところもあるけど。



アメリカでレスリング競技がプロ化されたのが、19世紀後半から20世紀にかけてのこと。当初はリアルな格闘技だったのが、興行的要請によってショーアップされてゆき、1920年代にはすでに善玉と悪玉が繰り広げるスペクタクル・ショーへと変貌しました。とはいえ、やはりレスリングテクニックが重視された時代ではあります。
終戦後、各家庭にテレビが普及した1950年代になると、プロレスはさらにショーアップされたものとなり、マイクパフォーマンスも一般的になります。この時期にスターだったのがゴージャス・ジョージやバディ・ロジャース、アントニオ・ロッカといった派手なパフォーマンスを行うレスラーたちでした。


日本にプロレスが輸入されたのがやはり1950年代はじめのこと。駐留軍人の慰問のためにボビー・ブランズやハロルド坂田が来日し、その巡業に、力道山が参加しました。ここでプロレスという新たなビジネスに手応えを感じた力道山は、アメリカへ渡って本格的なプロレスの修行をします。本場でプロレスの裏も表も知り尽くした力道山は、満を持して1954年に日本初の本格的プロレス興行を開催しました。不世出の柔道家木村政彦をパートナーに、実力派のシャープ兄弟を相手に招いたこの試合は大成功をおさめ、日本にプロレスの大ブームが到来したのです。

木村政彦はなぜ力道山を殺さなかったのか

木村政彦はなぜ力道山を殺さなかったのか

(その後の両雄については本書を参照のこと)


ここで力道山がクレバーだったのが、アメリカで主流だった派手なパフォーマンスをいきなり輸入することはせず、本格的な格闘技のひとつとして紹介したことです。
最初からパフォーマンスに偏った試合をしたのでは、相撲や柔道を見慣れた日本の観客はついてこれないという判断があったのでしょう。アングルの組み方もシンプルなものでしたし、シャープ兄弟もギミックに頼らない本格派のレスラーでした。


そして、日本人に本格派プロレスの魅力と、プロレスの素晴らしさを決定的に植えつけたのが、1957年に来日したルー・テーズだったといえるでしょう。

鉄人ルー・テーズ自伝 (講談社+α文庫)

鉄人ルー・テーズ自伝 (講談社+α文庫)

当時テーズはすでに40歳を過ぎ、長年にわたって防衛していたNWA王座も手放していました。彼の全盛期はテレビ普及以前の1940年代であり、50年代には人気絶頂とはいえない、古い世代のレスラーです。
しかし、力道山は彼を、アメリカを代表するプロレスの大横綱として日本に紹介しました。怪物じみた凶暴な大男として紹介されることが多かった他のレスラーと違い、テーズは知的な風貌にジェントルな物腰を持っていました。しかしリングに上がれば素晴らしいテクニックを見せ、そして必殺技のバックドロップに日本のファンは度胆を抜かれたのです。


力道山が日本に輸入したプロレスは、アメリカで行われていたパフォーマンス先行のショーではなく、それ以前のストロングマン・ショーでした。
その価値観はその後も日本のプロレス界を支配し続け、「ルー・テーズが史上最高のレスラーであり、ストロング・スタイルこそプロレスの本道」という方向性のまま、今日まで来てしまったわけです。
ファンはだいぶその「鉄人」の呪縛から解かれてきましたが、マスコミも含めた業界ではいまだにそれが残っている、というかそれを守らなければいけないという思いこみがまだ強固に保たれているんですね。

プロレス 偽装のリング (別冊宝島 2023)

プロレス 偽装のリング (別冊宝島 2023)

でも、もし力道山アメリカ最高のスターとして連れてきたのがゴージャス・ジョージだったりしたら、日本のプロレスはきっと消え去っていただろうなぁ。
「鉄人」の呪縛こそが、日本にプロレスを定着させ、今もファンを熱狂させ続けているのかもしれません。くだんの中学生も、その意味ではテーズの薫陶を受けているってことでしょうね。



まぁ、実際のルー・テーズについてはセッド・ジニアスの証言もあったりして色々アレなんですけど、そもそもセッド・ジニアス自体がアレだからなぁ。ていうか純真な少年ファンにジニアスのこととか教えちゃダメですよ。