人狼、暁に死す

細田守監督の『おおかみこどもの雨と雪』を観てきたッス。

あらすじ(公式サイトより)

大学生の花(宮崎あおい)は、彼(大沢たかお)と出会ってすぐに恋に落ちた。やがて彼が人間の姿で暮らす"おおかみおとこ"だと知ることになったが、花の気持ちが変わることはなかった。そして一緒に暮らし始めた2人の間に、新たな命が生まれる。雪の日に生まれた姉は≪雪≫、雨の日に生まれた弟は≪雨≫と名づけられた。
雪は活発で好奇心旺盛。雨はひ弱で臆病。一見ごく普通の家族だが、生まれてきた子供たちは、「人間とおおかみ」のふたつの顔を持つ、≪おおかみこども≫だった。そのことを隠しながら、家族4人は都会の片隅でひっそりと暮らし始める。つつましくも幸せな毎日。しかし永遠に続くと思われた日々は、父である"おおかみおとこ"の死によって突然奪われてしまった―――
取り残された花は、打ちひしがれながらも「2人をちゃんと育てる」と心に誓う。そして子供たちが将来「人間か、おおかみか」どちらでも選べるように、都会の人の目を離れて、厳しくも豊かな自然に囲まれた田舎町に移り住むことを決意した。

善良で素直なピープルに向けられた、善良で素直な映画でした。善良で素直な人なら善良で素直に楽しめると思います。


母と子の情愛、子どもの成長、いずれもしっかり描かれていますし、人狼の子を抱えて社会から孤立する花の姿は、頼る人がなく社会保障からもこぼれてしまうシングルマザーの問題とリンクしているように読めます。富山県をモデルにしたらしい田舎の風景は目を見張るほど美しく、アニメーションがここまで自然を描写できるのかと感動しました。


ただ、オレは人間より人狼のほうにはるかに興味を持つタイプの人間なので、その設定がいろいろ気になりました。


まず気になるのは、人狼が不死身人間なのかどうか、ですよね。

この映画に出てくる人狼は、いかにも大沢TKOらしい優男で、月齢に関係なく変身でき、人を襲うこともありません。でもって簡単に死にます。オレの知ってる人狼と違う!
いや本当にね、なんで死んだのか全然わかんないんですよね。家族のために狼化して野鳥でも狩りに行ったんでしょうけど、なぜかその姿のままドブ川に落ちて死んでたんですよ。何があったんだよ! きっと裏設定ではCIAに追われていて、執念に燃える殺し屋の西城恵が、ついに彼の居所をつきとめたのに違いない。もしくはベルナドット隊長に銀の弾丸を撃ち込まれたか。
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んで、狼化したままの犬神明(違います)の死体は、巨大な狼の死体を怪しむこともない清掃員によって、ゴミ収集車に放り込まれます。ゴミ収集車と聞いて『コマンドー』を思い出す人もいるかもしれませんが、オレはH・G・ルイスの『血の祝祭日』ラストを連想しましたね。

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田舎に引っ込んでからの描写は、まぁファンタジーの範囲内としましょう。村の人々がよそ者をこころよく迎え入れるあたりは、リアル田舎を知っている人間からすると「ンなわきゃねぇ」というところですが、そこをつついてもあまりおいしいものは出てきそうにありませんし。菅原文太そっくりのジジイが本当に菅原文太だったり、モンスターペアレント林原めぐみだったりするファンサービスもあります。人目を避けるために田舎に引っ込んだつもりが、周囲の善意に助けられて、一人では生きていけないことを思い知らされるあたりのストーリー展開も悪くないです。つうか最初から都会にいたほうが何かと便利だったんじゃないかと思うんですが、それを言い出したらこの映画そのものが成り立たなくなります。



※以下ネタバレ
























人狼の子である雨と雪は、成長して巣立ちのときを迎えます。
姉の雪は、自分が人狼であるという事実を男の子に明かし、親子だけのものだった秘密を他の人と共有することで、精神的な親離れを果たすという形で。
弟の雨は、山のヌシである狐を精神的指導者として、狼として山の住民になり、人間の世界に別れを告げるという形で。

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通過儀礼を経て大人になる子どもたちを描く、という点ではドラマ的に成功していたと思います。父性の不在は、日本的家庭の姿を強調しているものと考えてもよいでしょう。


ただ、雨は11歳で巣立つのですが、母親の花は、自分のもとを去ろうとする雨を引き留めようとするときに「狼の11歳は大人かもしれないけど……」と言って思わず口をつぐみます。雨がもう充分に成長していることに気付く瞬間です。


とはいうものの、狼の11歳はもう老犬です


人狼の寿命はどれくらいなのか、人間形態と狼形態での年齢換算はどうなるのか、その辺に疑問がわくところでした。


それと、この映画を批判する人は「母性」への安易な信仰を問題にしていることが多いようですが、ぼくは「野生」への安易な信仰が気になりました。


11歳まで人間に育てられた雨ですが、次第に野生の本能に目覚めて、山へ入っていきます。
しかし、人間に育てられた動物が野生に還ることは非常に難しく、根気強い訓練が必要です。

ずっと人間に育てられていた雨が、すんなりと山のヌシに認められてその後継者になるというのは、いささか「野生」というものを無邪気にとらえ過ぎているのではないかと思いましたねぇ。


それと、姉弟のこれからの生き方も気になります。


姉のほうは、どこかで自分を受け入れてくれる男を見つけて(小学生の時点ですでに一人見つけてるんだけど)また人狼の子孫を残すことができるでしょうが、弟は山に入ったところで狼の配偶者を見つけることはできないので、子孫を残せず滅んでいくことになります。それとも、人間と子をなすことができたように、狐か何かとも子をなすことができるんでしょうか。人狼と狐の間に生まれた子はいったい何になるんでしょうね。