仰天・拳降の章
ぬう――?
夜の底をめがけ、魔性の速さで降ってくるものがあった。
女?
女だ。裸の女だ。幾人かの女が、野天のリングをめがけて降ってきているのであった。十体には届かない、だが五つは超えているであろう豊満でしなやかな女体が、長い黒髪をなびかせて降ってくるのが、男の目に入っていた。
なぜ?
なぜ、女が降ってくるのか。
女が空から降ってくる。
ありえぬ。
そのようなことは、男のこれまで生きてきた人生においては、ありえぬことのはずであった。
ありえぬ――
だが、そのありえぬことが、いま男の眼前に現出しているのだ。
ということは、ありえぬというその判断が、間違っているということだ。
これまでの人生で学んだ知識を、常識を、技術を、根こそぎ否定しなければならない。そういう事態に遭遇している。そういうことなのだ。
前にも、同じようなことがあった。
六年あまり前、梶原年男に敗れたとき。
それに、姫川勉に敗れたときだ。
そうだ。あのときも、あのときも、おれはそうやってきたじゃないか。すがりつくものなら、この肉体だけで充分だ。
取り入れられるものがあるなら、なんでも取り入れればよい。
捨てるものがあるなら、なんだって捨てればよい。
肉体の、精神の、どこかに燃やせるものがあるならば、なんだって燃やせばよい。負けた悔しさでも、勝った嬉しさでもよい。それこそ、今朝の糞の出が悪かったとか、あのとき喰ったラーメンがうまかったとか、あのときの女がいい女だったとか、あの試合のギャラが安かったとか、そんなことでもよいのだ。
男の――丹波文七の背を、太い電流がぞくりと疾り抜けた。
動かせ。
肉体を、精神を、動かせ。
とにかく動かせ。
「兄貴!」
リングの下、本部席の向こう側で、葵飛丸の声がした。
降ってきた女の肉体が、つい何秒か前まで葵密丸であった血と肉の塊を下敷きに、自らも砕けて散っていた。
「おっさん! よけろ!」「よけるんだ、丹波くん!」
久保涼二と泉宗一郎の叫ぶ声が、文七の耳をとらえていた。
文七は、おのれの裡で燃えさかる黒い炎を感じながら、自分をめがけて降ってくる女を見た。女の顔が見えた。力なく開かれた目が、文七のそれと合った。女は、文七のことを見ていた。白い顔に、うっすらと紅をひいたような赤い唇がなまめかしかった。
そうだ、その顔だ。そんな顔をしている女に、おれはいつだって手加減なんかしたことはないんだぜ。
つ、
つ、
つ、
つ、
と、文七の足が、女の落下点の方へ進んでいった。
「おきゃあああああああっ!」
誰だ。この叫び声は。おれか。おれが叫んでいるのか。その瞬間、文七は強い衝撃を感じた。
腕に――
肩に――
胸に――
腰に――
膝に――
脚に――
踵に――
衝撃が、文七の肉体を通過して、踏みしめているリングへ、その下へと疾り抜けていった。
文七は、女をその腕に抱きとめていた。甘く柔らかな、女の肉体がその手にあった。
「おもしれえなあ、丹波よう」
リングサイドから、太い声がかけられた。やはり女を抱えた松尾象山が、太く微笑んでいた。
「まだ試合は終わっちゃいないぜ。まさかくたばっちゃいねえだろうな、丹波」
文七から2メートルほど離れたリング上では、梅川丈二が仰向けになり、その両脚の間に女を抱えこんでいた。ガード・ポジション――ブラジリアン柔術における、防御に特化した体勢である。
文七の腕の中で、女がこちらを向いた。
美しいその顔に、笑みが浮かべられていた。
魔性の笑みであった。
<完>
※稀代のお調子者と呼ばれるわたくしのことでございまして、もう一本、こちらに投稿してみました。
http://q.hatena.ne.jp/1231366704
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こいつは、とんでもないエントリだぜ。
平成二十一年一月十二日 仙台にて
washburn1975