雪の姦鬼
※本日のエントリは性暴力について言及しています。苦手な方はご遠慮ください。
児童ポルノをめぐる言説は次のステージに入ろうとしているようで、「性的欲望と内的自由」について書かれたエントリがいくつも見られるようになりました。
たとえばこちら。
消極的自由は児童ポルノを擁護しうるか - 過ぎ去ろうとしない過去
「内心の自由」を持ち出す人は、「心の中でレイプしたらそれは実際にレイプしたのと一緒です」というキリスト教の格言に対しては勿論反対なのだろうしそれはいいのだけれど、じゃあこの格言を対象の視点から見た受動態にしてみると?「私があなたにあなたの心の中でレイプされるならば、それは私があなたに実際にレイプされるのと一緒です」これに反対するかどうかも考えてみるべきじゃないかと思うよ。
この意見に対して、buyobuyoさんはこう書かれてます。
http://d.hatena.ne.jp/buyobuyo/20080317/p1
「あなたに実際にレイプされるのと一緒です」一緒じゃありませんから。このような言説に全く受け入れる余地は一切なく、断固としてNOを突きつけます。
大体、そもそもなんで考えてるってわかるんですか?テレパシーで感じるんですか?何で「一緒」とか言う言説に受け入れる余地があるように錯覚するのか、それはその心の動きを視線や態度で表出する無作法な男性の存在が思い浮かぶからに過ぎないように感じます。しかし、そういう態度を露骨にすることには「視姦」という言葉が存在し、更には、それ自体はセクハラの一種とされるべき行動です。*1つまり、内心の想像と実際のセクハラ行為との間を感情と想像という糸で結んだ錯覚ではないですか?
レイプや児童への性的虐待を行なう表現が存在するからそのような欲望の存在が可視化される?それはそうでしょう。そこは認めます。しかし、それが脅威そのものの存在の可視化とイコールで結ばれるということは認められません。それでは、レディコミックにやたら出てくるレイプ表現は女性の被レイプへの欲望の可視化?ということでもよろしいんですねそしてそれが、実現性のある「脅威」、つまり実際に男性が行為に及ぼうとしたときに受け入れ可能なものと受け取ってもよいということですね?
本当はお分かりのことと思いますが、行為への欲望と実際の行為の受容との間には大きな隔たりがあります。そこをシームレスに結びつけて感情に訴える議論は私は錯誤の上に立った議論であると認識します。男性でも女性でも、レイプや児童への性的虐待を行なう表現によって可視化された欲望の受容は、そのまま(欲望を持ったものにとっても)その実際の行為の受容にはならないと考えます。
記事の趣旨には同意しますが、この辺のエロティシズム表現についてもうちょっと突っ込んで考えてみたい。
レディコミや劇画で、同じようにレイプを描いていても、男女の非対称性ってのはこの分野では非常に重要なもんでして。
男性向けのエロス表現では、男たちのひそかな願望をかなえてみせることがその使命であります。佐藤まさあき先生の『堕靡泥の星』では、「強姦こそがすべて……強姦こそが男が男としておのれの誇りにのっとって生きることのできる最高の瞬間だ!」と語る主人公の神納達也が、数多くの女性を犯し、いたぶり、あげくの果てに殺していきます。
その姿に、読者は男の持つ暗い部分を意識させられ、戦慄するとともに背徳のエロスを刺激されるわけですね。
(ただし、この巻での凶行はあまりにぶっ飛んでいてまったくリアリティがないので、そんなに深刻な感じはしない)
当時、佐藤先生のところには、先生のもう一つの人気シリーズである『影男』ファンの読者から、しょっちゅう「『影男』の新作を描いてくれ」と電話が来ていたそうです。
あまりにしつこいので、「『影男』ばかりでなく、『堕靡泥の星』はいかがですか」と先生が言うと、その読者は、「『堕靡泥の星』は嫌なんです。あの作品を読んでいると、自分の心の底をのぞいているような気がして怖くなってくるんです」と答えた、といいます。
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コレに対し女性は、フィクションにおいて”実際にされたら嫌”なことの描写に興奮する傾向がある、と思うんですね。
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そうすると、「めちゃくちゃに感じて、とても悲しい」というんですね。
まぁこれらは、フィクションの登場人物の、さらにその妄想なんですけど、そんなに的外れではないんじゃないかと思います。
つまり、同じようにレイプを扱っていても、男性は”したい願望”を、女性は”されたくない願望”を刺激されて、それぞれ興奮してるんじゃないかなあ、と。
あ、いちおう言っておきますと、ぼくにはそういう願望はありませんけどね。