野性の証明
こういうエントリを見ました。
なぜ創作物の中のレズビアンやバイセクシュアル女性は色情狂として描かれがちなのか - みやきち日記
漫画や映画などフィクションにおいて、レズビアンは四六時中女に欲情しているように描かれている。それは、そう描かないと、受け手は女を異性愛者だと自動的に認識するからだ。
というんですが、これはレズビアンに限ったことではなく、男性を見るとさらに露骨で、ホモは男と見ればノンケでもかまわず食っちまうような人間として描かれてることが多いと思います。
たとえば、ヤングジャンプに連載されている、岡本倫の『ノノノノ』では、男装してスキージャンプのオリンピック選手を目指す主人公の女の子が、寮で同室になったガチホモの先輩にさっそく押し倒され、絶対絶命のピンチになっております。
待望のスーパー切株タイム発動かとも思われますが、これもホモへの偏見描写と言えなくもないでしょう。
また、このような描き方は同性愛に限ったことでもなく、たとえばピクルは女と見れば犯し、向かってくる生物は餌として喰うという野性の持ち主として描かれています。
- 作者: 板垣恵介
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これに対し、烈も中国四千年の技術を捨て、泣きながらぐるぐるパンチを繰り出すというネタ扱いにもほどがある手法で応戦。いったいどこへ行こうとしてるんですか板垣先生。
それにしても、ピクルはいちおう女を犯すときにパンツを脱がす程度の知能はあり、研究所での振舞いを見る限りでは人間同士でのコミュニケーションも不可能ではないらしく、向かってくる動物以外は喰わないという戦士の誇りも持ち合わせているので、現代人とは違うレベルではあっても彼なりの文化を持っていると考えた方がよさそうです。
ピクルの描写も、野性というものへの偏見といえるんではないでしょうか。