ある時代の終わり

仙台には、宮城県スポーツセンターという体育館があります。

青葉城址のそばにあるこの体育館では、かつてはQueenJudas priestがライブを行ったこともありました。


また、東北のプロレスファンにとってはことのほか思い出深い会場でもあります。


最近はめっきりプロレス会場へ足を運ぶこともなくなったわたしですが、90年代前半から中盤にかけては足繁くここへ通い、数々の名勝負に魅せてもらったものです。

旗揚げ2年目のリングスがここで試合をやったときは、負傷欠場した選手に代わって前田日明と対戦したハンス・ナイマンが、「ナイマン蹴り」で前田から2度にわたってダウンを奪うという予想外の頑張りを見せたのを覚えています。

このときに買った「ファイティング・ネットワーク」バスタオルはいまだに持ってるなぁ。


新日本プロレスはとくにここでの試合が多く、毎年2回ぐらいはいいカードで試合が組まれてました。
ある年は、トイレに行ったら藤波辰爾に出くわし、うわッ辰つぁんだと興奮したものの、場所が場所だけに「握手してください」とも言い出せず、そのままスルーしてしまったということもあります。

別のある年には、トイレから出たらエル・ヒガンテが入れ替わりに入ってきて、2m30cmというそのデカさを間近に見て興奮したという思い出もありました。



トイレではなく試合の思い出を語りますと、たしか93年の9月に行われた武藤敬司vs馳浩の試合が思い出されます。

この試合は、遺恨やイデオロギーといったアングルのまったくない、純粋にテクニックを魅せる試合として行われました。

はじめはじっくりとしたレスリングの攻防。寝技でお互いに足を攻め合い、武藤は4の字固め、馳はサソリ固めへと移行します。
かなりねちっこい攻めで、何度か「ここで決まりか?」と思わせるほど。

やがておもむろに立ち技へと移行、馳は得意の裏投げを連発。
グロッキーになった武藤を抱え起こし、とどめのノーザンライトスープレックスを炸裂させます。

しかしカウント2で返す武藤。

ならばともう一発裏投げを狙う馳ですが、武藤は起死回生の払い腰で返し、ここから反撃します。

電光石火の速さで馳のバックを取ると、ドラゴンスープレックス
しかもグリップを離さず2連発。

リング中央で大の字になった馳に背を向け、独特の見得を切るポーズからトップロープに登り、一気にラウンディング・ボディプレス!

タイガー服部のカウントに合わせて場内大合唱。1!2!!3!!!


武藤と馳の二人は、この試合に続くSGタッグリーグ戦でコンビを組むことが決まっており、この試合での息の合った戦いぶりに対し「SG優勝だー!」という声援が飛んでいたのを覚えています。この辺がプロレスの奥深さですね



また、別の年には第1試合がヒロ斎藤vs小林邦昭というすさまじくマニア泣かせの組み合わせで、初っ端から異常な盛り上がりを見せたのもことのほか思い出深いです。

ヒロさんが悠然とリングインしただけでワー
小林さんがサードロープの下からリングに滑り込んだといってはワー
ヒロさんがボディスラムからセントーンの間合いを取ったといってはワー
小林さんがヒロさんをロープに振ってのスピンキックを見せるとワー


もう完全にコール&レスポンスが出来上がっていました。


フィニッシュは、小林さんのソバット→フィッシャーマンズ・スープレックスという黄金コンボを返したヒロさんが、ボディスラム→セントーン2連発→トップロープからのダイビング・セントーンというマニア感涙の流れ。

第1試合から空前の盛り上がりで、あとの試合をまったく覚えていないという事態になってしまいました。


その宮城県スポーツセンターも、老朽化のため取り壊しが決定。
9月には、新日本プロレスが最後の興行を行うそうです。

・・・行こうかどうか、いまだ迷っているわたしです。