さらばハモンドの鬼

今日はいろいろ触れたいネタもあったんですけど、やっぱりこの訃報を取り上げないわけにはいかんですよ。


http://www.asahi.com/showbiz/music/TKY201207170115.html

ディープ・パープル元メンバー、ジョン・ロードさん死去

 ジョン・ロードさん(英ロックバンド、ディープ・パープルの元キーボード奏者)が、ロイター通信によると16日、ロンドンの病院で死去、71歳。膵臓(すいぞう)がんを患っていた。


 英中部レスター生まれ。1968年にリッチー・ブラックモア(ギター)らとディープ・パープルを結成。ハードロックの代表的バンドとして「スモーク・オン・ザ・ウオーター」などを世界的にヒットさせた。解散、再結成を経て、2002年からソロで活動していた。(ロンドン)

イン・ロック

イン・ロック

10年前に事実上引退していた人だとはいえ、訃報に接するとやはりショックです。今日は彼の遺した歴史的名プレイの数々を振り返り、追悼の祈りを捧げたいと思います。


1968年、ヒュー・ヘフナーのテレビ番組に出演したときの第1期ディープ・パープル。この当時はジョンがバンドの音楽的イニシアチブを取っており、リッチーはまだストラトキャスターではなくギブソンのES-335を使っています。

ハッシュ(K2HD+HQCD/紙ジャケット仕様)

ハッシュ(K2HD+HQCD/紙ジャケット仕様)


1972年、ハードロック路線に転向した第2期の代表曲。リッチー・ブラックモアストラトに持ち替えたのに合わせて、ジョン・ロードも、ハモンド・オルガンをマーシャル・アンプに突っ込んでより荒っぽいサウンドを出しています。

マシン・ヘッド(SACD/CDハイブリッド盤)

マシン・ヘッド(SACD/CDハイブリッド盤)


1980年は、ディープ・パープルが解散し、レインボー(リッチー組)とホワイトスネイク(カバ組)に事実上の分裂をしていた時期。ジョンはデイヴィッド・カヴァーデイルイアン・ペイスらとホワイトスネイクを結成し、パープル時代とは一味ちがう落ち着いたプレイを聴かせました。

フール・フォー・ユア・ラヴィング+5

フール・フォー・ユア・ラヴィング+5

  • Graham Bonnet - Night Games video (1981)


1981年には、レインボーを脱退したグラハム・ボネットのソロアルバムにも参加。コージー・パウエルもレインボーからホワイトスネイクに移籍していた時期で、この辺になるとレインボー組とホワイトスネイク組が入り乱れてきます。

孤独のナイト・ゲームス

孤独のナイト・ゲームス


そして1984年に再結成されたディープ・パープル。イントロのハモンド・オルガンがしびれる!

パーフェクト・ストレンジャーズ

パーフェクト・ストレンジャーズ


その後は、イアン・ギランが脱退してリッチーが子分のジョー・リン・ターナーを加入させたり、ギランが復帰してリッチーが脱退したりと波乱もありましたが、スティーヴ・モーズを迎えた新生ディープ・パープルでコンスタントに活動しておりました。そして2002年に体力的衰えのためパープルを脱退(事実上の引退)しドン・エイリー(この人も元レインボーである)に後任を任せ、時おりセッションをしたり、ライヴにゲスト出演するなどマイペースな音楽的余生を過ごしておりました。2011年にすい臓がんを告白。闘病の末、帰らぬ人となりました。2010年にロニー・ジェイムズ・ディオが亡くなったときにも思ったのですが、もうこの辺りの年代のミュージシャンが亡くなってもおかしくない年代になってきているんですねぇ。謹んでご冥福をお祈りします。