君子ならずとも豹変す

【初回生産限定スペシャル・パッケージ】ダークナイト(1枚組) [DVD]

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先日のエントリで、ハックルこと岩崎夏海が「『ダークナイト』のジョーカーは親の虐待で悪人になった。こういう安易な設定は人をバカにしている」と書いていたことを揶揄したのですが、ハックル本人から「差別だ!」と返されました。


http://d.hatena.ne.jp/aureliano/20120716/1342401707
この人は、オレが「発達障害を疑う必要がある」と書いた意味が理解できず、字面だけを捕まえて「差別だ!」と言っています。
発達障害は差別されるべきものではありません。でも、健常者なのに壊滅的に理解力がない(それでいて、本人は自分を世界的文豪だと思っている)人は、バカにされても仕方ないでしょう。オレの真意は、「せめてそういうことにしておけば人格をバカにされないで済むんじゃない?」という、ささやかな温情です。


ハックルの人は「彼らは、ほとんど無意識で差別をしている」と書いてますが、オレが差別しているのは発達障害者じゃなくてアンタだよ。劣っているのはアンタの理解力と文章力だよ。


肝心の、『ダークナイト』の理解についてはまったく反論していません。http://d.hatena.ne.jp/aureliano/20091126/1259227980なんてエントリを書くぐらい、映画の理解に自信がある人のはずなのにね。まあ4年も前の記事なので、本人も忘れてるんでしょうけどね。


何しろ、ハックルは何の脈絡もなく主張が180度転換する支離滅裂人間なので、4年も前に書いたことなんて本気で忘れてるでしょう。

2012年7月15日のエントリ

http://d.hatena.ne.jp/aureliano/20120715/1342358211

近頃では、大手マスコミを中心とする旧既得権益層が、コンテンツの提供における自社の利権をまたぞろ主張しはじめて、購入した本の処遇やその読み方の自由までをも収奪しようとする動きを見せている。
しかし、これは断固阻止せねばならない。購入した本の処遇であったり、あるいはそれをどう読むかということについては、我々読書たる消費者が、長い歳月をかけて獲得してきた権利なのであるから、今このタイミングで再び出版社や著者などの旧権力層に取り戻させてはならないのである。
我々には、購入した本を自由に扱う権利がある。焼こうが煮ようが、誰からも文句の言われる筋合いはない。また、それを面白いか面白くないか決めるのも、我々読者の占有的な特権であって、大手マスコミや著者に云々される謂われは全くないのである。
しかしその権利を、コンテンツの提供方法がアナログからデジタルへと大きく転換しようとしているこのタイミングで、消費者の目を欺いてかすめ取ろうとする大手マスコミや作者の動きがあって、我々は、それに対して断固戦っていかなければならないのだ。
なぜなら、購入した本を自由に扱ったり、その評価を自由に決めたりするのは、我々読者たる消費者が既に獲得した権利――すなわち既得権益であって、それが守れないようであれば、彼らから権利を勝ち取ってきたこれまでの我々の尊い戦いも水泡に帰してしまうからである。

2012年7月8日のエントリ

http://d.hatena.ne.jp/aureliano/20120706/1341533800

ここで一つはっきりさせておきたいのは、「面白さを決めるのは読者ではない」ということだ。これはもう、反論どころか議論の余地さえない既成事実である。
では、「面白さを決めるのは作者か?」というと、それも違う。実は、そのどちらでもないのである。
それ(面白さ)は、この世にすでにもともと存在している、先天的なものなのだ。この世には、ピタゴラスの定理みたいに「面白さの公式」というのがあらかじめ在って、ゆるがせにしがたい。だから、読者か作者、どちらかがが決められるという問題ではないのである。


ただ、その先天的に存在している面白さの指標(公式)というものは、数学のようになかなかスパッと割り出せるものではない。もっと茫洋としていて、陽炎のように見えたと思ったら消えてしまう捉えがたいものだ。
そこで、作者の正しい態度というのはただ一つ、その先天的に存在する面白さの指標を可能な限り見極めていく、ということだ。そして、その捉えられた範囲の面白さの指標に則って、作品を作るということである。
そうして読者も、それを評価する際には、自分の好き嫌いや感情でしてはいけないのである。読者もやっぱり、この世に先天的に存在する面白さの指標に則って、その作品を評価しなければならない。批判というものは、全てこの文脈でなされるべきなのだ。


ただ、ここで一つややこしいことがある。それは、読者の評価というものには、作品の面白さとはまた別に、「満足したかしないか」ということがある。そして、顧客として満足したかしないかを決めるのは、もちろん顧客自身だ。しかしそれは、面白いか面白くないかとは、また別の話なのである。

2011年12月のエントリ

http://d.hatena.ne.jp/aureliano/20111225/1324797973

本は、購入した人の所有物ではありません。そもそも、太陽とか土とか水でできた紙を使ってできた本を、数百円払ったくらいで「所有」しているという考え方がおこがましい。
当たり前ですが、本でも何でも、一個人の完全な所有物となるものなんて、この世にはありません。「物」は、言うならばこの世界そのものの「所有物」であり、人間にとってはむしろ「借り物」という方が近いです。今認められているいわゆる「所有権」とは、その「借り物」の処遇について、他の者よりも比較的多く決められる権利――くらいの意味しかないのです。
ですから、当たり前ですが、それを破いたり捨てたりしたら、作家のみならず、誰でも、この世界そのものの一員として(一部として)、それを咎め立てすることができます。と言うより、咎め立てするべきです。
それは、権利と言うよりは、この世界そのものの一員としての責任です。ぼくは、誰が持っている本であっても、その持ち方や使い方を誤っている人がいれば、行って「誤っている」と勇気を持って指摘してきたいと考えています。

自分で書いた文章ぐらい、少しは覚えておこうね!


あと、「ハゲ」と言われたことも面白くないらしいけど、安心しろ、オレもハゲだ! ていうか多分オレのほうがハゲだ!