まずはそのふざけた幻想をぶち殺す

とある魔術の禁書目録 〈特装版〉 SET1 [DVD]

とある魔術の禁書目録 〈特装版〉 SET1 [DVD]

ちょっと前に書いたエントリの反響が予想外に大きく、いささか戸惑っております。
こんなにあるぞ! 違法な性行為 - 男の魂に火をつけろ!
このエントリでは、「刑法に触れるような性行為」を描いた漫画を規制対象とすることのナンセンスさを、面白おかしく茶化したのですが、マジメに規制反対運動をやっているような人たちもtwitterでこれを拡散していたので、ちょっと「オイオイこれギャグだぜ」と言いたくなることの多い、ここ数日でありました。


実をいうと、エロ漫画の現状が手放しで容認できるかと問われれば、そうとはいえません。セックスを主題とした漫画はたくさんありますが、出版社やレーベルによっては成年コミックのマークがついていないことも少なくありません。具体的にいいますと、たとえば双葉社の雑誌「メンズヤング」は、店頭ではシールで封印された成人指定コミック誌ですが、これに連載された漫画が単行本になると、成人指定されずに店頭に並びます。

HEROINESーアクションコミックス ((メンズヤング))

HEROINESーアクションコミックス ((メンズヤング))

日本文芸社などのオヤジ漫画出版社にも、同じ問題がありますね。こういう現状はどうなのか、という問題提起ならまだぼくも理解できます。同じように性描写を主眼とした漫画でありながら、出版社によっては成人指定されたりされなかったりするという曖昧さ。ぼくはこの辺の、表現物が持つパワフルさをこよなく愛するものではありますが、子どもを持つ親なら、ぼくと違った考え方をする人がいるであろうことも理解できます。


都条例が改悪されたとしても、それはあくまで流通でのゾーニングに関わるものであって、発禁になるわけではないから表現の自由は侵されない、という意見も見られます。たしかに、実務上はそうかもしれません。出版社や書店には負担をかけることになりますが、創作そのものが禁止されたり、作家が投獄されたりする種類のものではありませんし。



ですが、いま話題になっている条例改正案の文面を精読しますと、性志向という人間にとって最もプライヴェートな分野に行政が立ち入り、良いセックスと悪いセックスを公権力が区別して、市民に「悪いセックス」を撲滅する責務を負わせるというグロテスクな発想が見えてきます。ぼくが許せないのはまさにそこで、不道徳的な書物の存在を許さない社会を作りたい、などといわれても「ケッ」としか思えません。書物には道徳的も不道徳もありません。ただよく書けているか書けていないか、の区別しかないのが本というものです。


戦前には、「安寧秩序を妨害し、又は風俗を壊乱する文書は内務大臣において発売頒布を禁ず」という出版法・新聞法によって行政処分が行われ、キラ星のごとき文芸作品から地下出版の秘本まで、数多くの書物が禁書の烙印を押され抹殺されたのです。

発禁の理由はさまざまで、明治28年に発禁処分を受けた、小栗風葉の『寝白粉』は、兄と妹の近親相姦を描いたために発禁になっています。なんとタイムリーな。現代では、近親相姦よりむしろ、主人公兄妹が被差別部落出身で、妹の恋人に向かって兄が「私等同胞は新平で御座んすぞ、血統の汚れた穢多で御座んすぞ!」などと脅して結婚をやめさせる場面などの差別的描写の方が問題になりそうですけどね。
血だるま剣法・おのれらに告ぐ

血だるま剣法・おのれらに告ぐ


また、不倫も「風俗壊乱」の咎で発禁になることが多かったのですが、戦前の制度下では、妻のある男が他の女と通じるのはほぼ不問でしたが、夫のある女が他の男と密通する話は問答無用で摘発されていました。

肉体の悪魔 (光文社古典新訳文庫)

肉体の悪魔 (光文社古典新訳文庫)

レイモン・ラディゲの『肉体の悪魔』は、現代でも名作として読み継がれている小説ですが、日本では昭和5年に訳書が発禁、昭和9年にも発禁となり、昭和12年に出た版は発禁にこそならなかったものの伏字が多数となっていました。


ごぞんじの通り、『肉体の悪魔』は、少年と、出征軍人の妻が姦通する物語です。これは時節柄、当局が最も注意していたジャンルのものでしたので、とくに厳しい態度で臨んだのでしょう。主人公が、恋人マルトの夫が戦死することを願ったりもしますので、そんな本を読むのは非国民だとでも言っていたんでしょうね。


道徳は時代によっても変わりますし、同時代でも個人個人によって違うものです。そんなあやふやなものによって、創作物の取り扱いに差をつけろというのは、ぼくは決して賛成できません。