美徳の不幸

さて、ちょっと前のエントリでも話題にした「非実在青少年」をめぐる問題ですが、まとめサイトができています。


http://mitb.bufsiz.jp/


これまでにも国会などで、何度も話題になっては消えてきたフィクション児童ポルノ規制問題ですが、今回は東京都の条例改正案ということで通る可能性が高く、反対運動も急を要するとのこと。


ところで、この条例改正案が通ったら、作品を審査する団体が設立され、石原慎太郎都知事の名の下に運営されることになるんでしょうか。


かつて、石原慎太郎原作の映画『太陽の季節』が、高校生が女をはらませて捨てる内容が非倫理的だとして批判され、それをきっかけに、映画を審査する第三者機関である映倫が設立されたという歴史的経緯を思うと、ある意味で慎太郎の復讐のようなものを感じないでもありません。

太陽の季節 [DVD]

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ちなみに、映画では当時22歳の長門裕之が主役なので現行の児童ポルノ禁止法には抵触しませんが、条例が改正されれば、成人が18歳未満を演じても「非実在青少年」となります。もちろん、先ず隗より始めよという格言を知らない慎太郎先生でもないでしょうから、すぐ「不健全映画」に指定してくれるでしょう。それとも、シナの格言なんて知ったこっちゃないとはねつけてくれるんでしょうか。


小説のほうは、設定が高校生だから問答無用でアウトになると思います。今度の案は漫画・アニメ・ゲームばかりが話題になっていますが、ちゃんと小説も映画も含まれますからねー。


ところで。


文学史上に名高い、サド裁判という事件があります。

花には香り本には毒を―サド裁判・埴谷雄高・渋沢龍彦・道元を語る

花には香り本には毒を―サド裁判・埴谷雄高・渋沢龍彦・道元を語る

昭和36年に、マルキ・ド・サドの『悪徳の栄え』がわいせつ文書だとして、翻訳者の澁澤龍彦と、現代思潮社の社長だった石井恭二が在宅起訴されました。


澁澤は、この裁判そのものを茶番劇として演出し、常にサングラスをかけて出廷、ときには「寝坊した」と遅刻するなどして、澁澤龍彦の勇名を高めることになりました。裁判は最高裁まで9年にもおよび、昭和44年に有罪が確定。澁澤は7万円の罰金刑を受け、「たった7万円、人を馬鹿にしてますよ。(懲役)3年ぐらいは食うと思ってたんだ」「7万円で済むんだったら、何回だってまた出しますよ」と、その茶番劇にふさわしいオチをつけています。


この事件より前の昭和25年には、伊藤整が訳したロレンスの『チャタレイ夫人の恋人』がわいせつとして摘発され、長いこと削除版が流通していましたが、今はちゃんと完全版が出ています。

チャタレイ夫人の恋人 (新潮文庫)

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サドの『悪徳の栄え』も、抄訳ですが河出文庫からちゃんと出ているので手に入りやすいです。

悪徳の栄え〈上〉 (河出文庫)

悪徳の栄え〈上〉 (河出文庫)

悪徳の栄え〈下〉 (河出文庫)

悪徳の栄え〈下〉 (河出文庫)

別の人が訳した完全版もありますが、哲学論議がくどくなって分量が3倍に増えるだけなので、文庫版でまぁ充分です。


小説における「わいせつ文書」規制は、現在はほぼ自由化されており、官能小説はいまもキオスクなどで一定のシェアを保っています。キオスクのおばちゃんが客に身分証明を求めた、という話はあまり聞いたことがありません。


ところが。


もしも「非実在青少年」案が通ったら、『悪徳の栄え』はまたしても「不健全図書」の烙印を押され、青少年は読むことができなくなります。


主人公のジュリエットは、少女のときに修道院で同性愛の手ほどきを受け、実家が破産してからは娼婦になり、そして悪の限りをつくしながら栄耀栄華を極めるわけですが、修道院にいたときは13歳ぐらいで、娼婦になったときも18歳にはなっていないはずですので、この小説は「非実在青少年」の性描写を含み、しかも「残虐性を助長し」「青少年の健全な成長を阻害するおそれのあるもの」にほかなりません。


サド裁判からもう40年以上になりますが、21世紀になってまた規制に遭うなどとは、冥土の澁澤も思ってもみなかったことでしょう。ましてや石原慎太郎ごときに。


とにかく、自分たちの気に食わない創作物をこの世からなくそうとする人たちは、その情熱を失うことがありませんね。
そうやって、キレイな社会を作ることが自分の使命だとでも思っているんでしょうか。くだらねえ。


そんなお歴々には、バイロンのこの言葉を贈りたいですね。

社会風俗改良のために作家を罰するのは、
鏡がなくなれば醜い顔がなくなる、という考えに似ている