思わず涙がチョチョシビリ

グルジアの元柔道選手、ショータ・チョチョシビリ氏がお亡くなりになりました。


http://www.sanspo.com/sports/news/090829/gsi0908291756002-n1.htm

チョチョシビリ氏死去 ミュンヘンで柔道金

1972年ミュンヘン五輪の柔道男子でソ連代表として軽重量級(93キロ以下)の金メダルを獲得したグルジア人のショータ・チョチョシビリ氏が27日にがんのため死去した。59歳だった。ロッテルダムで行われている世界選手権会場で、29日に国際柔道連盟(IJF)が発表した。

 75年の世界選手権無差別級準決勝では上村春樹・現全日本柔道連盟会長に惜敗し、3位となるなど国際舞台で活躍。89年にはプロレスラー、アントニオ猪木さんと東京ドームで「異種格闘技戦」を行い、猪木さんにKO勝ちしたこともある。引退後はグルジアのスポーツ界で要職を歴任した。

チョチョシビリといえば、1989年4月26日に行われた日本プロレス史上初の東京ドーム興行「格闘衛星☆闘強導夢」のメインエベントで、アントニオ猪木と「日ソ異種格闘技戦」を戦い、この試合のために作られた円形リングで猪木に裏投げを連発、ノックアウトによって猪木に異種格闘技戦初の黒星をつけたことで、プロレスファンの記憶に強く残っている選手でした。


この日の試合は、当時進められていたペレストロイカの波に乗り、チョチョシビリをはじめ、サルマン・ハシミコフやビクトル・ザンギエフソ連の選手を「レッドブル軍団」として招聘したのが一つの目玉です。イワン・コロフやニコリ・ボルコフといったロシア人・共産主義者ギミックのレスラーは古くから存在しましたが、本物のソ連人プロレスラーは彼らが初めて*1とされています。色白の赤ら顔でアンコ型、かつ毛深い男たちは洗練されたアメリカのレスラーにはない味があり、その後の格闘技界における旧ソ連・東側系選手のイメージがここで決定付けられました。


日本人にはなじみの薄かったスラブ系の名前も、このころからプロレス・格闘技ファンにとっては親しみ深いものとなり、ストIIに登場するザンギエフもビクトル・ザンギエフから名前を頂戴しています。


ロシア人は「○○○フ」「○○エフ」といった姓が多く、グルジア人は「○○シビリ」だ、というのが当時のプロレスファンに植えつけられた感覚で、その後も鈴木みのると戦った元レスリング金メダリストのゴベジシビリ・ダヴィド、バルセロナ五輪小川直也を破って金メダルを獲得したハハレイシビリダヴィドらがプロレスに参戦してきたものでした。でもやはり「チョチョシビリ」という響きの面白さは格別で、嬉しいときや悲しいときには「思わず涙がチョチョシビリ」なんてギャグをみんな言い合っていたものです。


また、チョチョシビリが公開した柔道の裏投げは、その威力によってプロレスファンに強い印象を残し、その後の馳浩飯塚高史が使い、秋山準エクスプロイダーも裏投げが原型になっています。バックドロップに比べて受け手の体をコントロールしやすく、大きく跳ね上げることによって見た目の派手さも演出できる、いい技です。でも柔道ではあまり上品な技とはされておらず、これを得意とする人物はたいてい悪役として登場しますので、気をつけましょう。

柔道部物語(7) (講談社漫画文庫)

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東京ドーム興行についての新日本プロレス最高経営会議の議事録は、別冊宝島『プロレス暗夜行路』で読めますので、そちらも参考にしながら、チョチョシビリ氏のご冥福をお祈りします。

プロレス 暗夜行路 (別冊宝島1648 ノンフィクション) (別冊宝島 1648 ノンフィクション)

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*1:1950年代から70年代にかけてカナダで活躍した「岩石男」ジョージ・ゴーディエンコは、幼いころに両親に連れられて亡命したソ連人だったというがこれはギミックには採用されず、長らく業界のトップシークレット扱いであった