ダブル・ファンタジー

本日は、山形市で開かれた、村山由佳先生の小説家講座を受けてまいりました。


村山先生といえば、『天使の卵』や『おいしいコーヒーのいれ方』といった純愛ものが有名ですが、来年の一月に文芸春秋社から刊行される新作『W/F ダブル・ファンタジー』では、これまでのイメージとは一転して、新境地に挑戦されています。

ダブル・ファンタジー(紙ジャケット仕様)

ダブル・ファンタジー(紙ジャケット仕様)

(↑タイトルの元ネタはこちらだそうです)


週刊文春に連載された『ダブル・ファンタジー』は、埼玉の田舎で夫と暮らしている売れっ子の女性脚本家が、マネージャーとして作品に干渉してくる夫の支配から逃れるため別居し、何人かの男性と恋愛しながら、生きる悦びや創作者としての生き方を模索していく姿を、濃密な性描写を交えて描いていくというもので、ヒロインの人物像が作者ご本人に酷似していることもあり、村山先生のキャリアにおいて重要な位置を占めることになるのは間違いないと思われます。


江戸川乱歩でいえば『陰獣』にあたる、と考えればよくわかりますね。

って、なんで乱歩でいう必要があるのか自分でもよくわかんないんですけど。


新作では、非常に濃厚な濡れ場が頻出するわけですが、濡れ場を書くときは、書き手自身が興奮しながら書くぐらいでないとダメだそうです。


逆に、笑える場面や悲しい場面を書くときは冷静でなくてはダメで、書き手が先に笑ったり泣いたりしていては、いい描写はできない、とのことでした。


ぼくなんかは、いいネタを思いついたときはパソコンの電源を入れる前から笑い始めてたりしますから、それではバカな文章しか書けないのも当然です。


常に、「書いている自分」を「俯瞰して見ている自分」を持つことが、大事なんですね。


ものを書く人に必要なことは、自分に対しても意地悪く分析できる能力であり、「書ける人」というのは何かに恵まれている人ではなくて、むしろどこか欠落している人の方が、「書く」という行為に向かう業のようなものを背負うことになる、とのことでした。身体の中に獣を飼っていて、それを押し込めるためにネタを仕入れて書いていくという。丹波文七みたいなものですね。

男と男が闘うことと、男と女が愛し合うことは同じなのかもしれません。


んでまぁ、書いていくためには自分の強みを把握しておくことが必要です。


村山由佳先生は、ご自分の強みを「苦労しなくても普遍性が得られること」と言っておられました。


たしかに、村山先生の作品はまっとうな感覚が貫かれていて、誰からも理解されるように書かれていますね。


ぼくも自分の強みを考えてみたのですが、ぼくが他のブロガーよりも秀でているところがあるとしたら、それは連想力だと思いますね。


まったく関係のない事柄どうしを、わずかな共通項を探して繋ぎ合わせることの意外性に関しては、いささか自信を持っているんですぼくは。デペイズマン、なんていうと大げさになりますが、本エントリで村山由佳先生と江戸川乱歩や『餓狼伝』を結びつけたような連想力は、ちょっとなかなか見られないものだと自負しているんですが、はたしてそれが「強み」と言っていいものなのかどうか。