放蕩記

放蕩記

放蕩記

先週の土日は、「せんだい文学塾」と、山形の「小説家になろう講座」で、村山由佳先生のダブルヘッダー講座を受講してまいりました。


今回は、「特殊を普遍に届かせるには」というテーマのもとに、お話しいただきました。


天使の卵 エンジェルス・エッグ (集英社文庫)

天使の卵 エンジェルス・エッグ (集英社文庫)

村山先生が、1993年に『天使の卵』で小説すばる新人賞を受賞したとき、選考員の五木寛之先生が「驚くほど凡庸」と評されたそうです。が、

(イメージ映像)
中庸ということはバランス感覚にすぐれており、多くの人に思いを届けることができる、ということです。村山先生にはそういう資質があるということで、言われた当時はさすがにいい気持ちはしなかったそうですが、いま思うと「素晴らしいはなむけでした」と述懐されていました。


授賞式では、瀬戸内寂聴先生から「小説家は、一に才能、二に才能、三、四がなくて五に才能」と言われたそうですが、渡辺淳一先生からは「瀬戸内先生はああ言うけど、俺は自分より才能のある作家が何人も消えていくのを見てきた。一、二は才能でも、三、四は運と体力だよ。本当の体力と、作家的体力を身につけなさい」そして「特殊を描いて普遍に至らせるのが文学だよ」と教えられたそうです。


たとえば、直木賞を受賞した『星々の舟』について、「あんなに問題だらけの家庭なんてない」というような意見を持つ人もいます。

星々の舟 Voyage Through Stars (文春文庫)

星々の舟 Voyage Through Stars (文春文庫)

しかし、どんな家庭でも大なり小なり何かしらの問題は抱えているものであり、登場人物たちの苦悩や喜びには、どこかしら共感できるものがあります。言い換えればすべての家庭は特殊であり、それぞれの特殊さを丁寧に構築し描写することによって、普遍の感動を描き出すことができるというわけです。


村山先生の新作『放蕩記』は、半自伝的な小説として、母と娘の関係を描いています。家庭で絶対君主としてふるまい、子どもたちを支配下におく母親。その母親に反発しながらも、抑圧から抜け出せない娘。その関係は、村山先生とお母様をモデルにしているそうです。


ダブル・ファンタジー〈上〉 (文春文庫)

ダブル・ファンタジー〈上〉 (文春文庫)

近作『ダブル・ファンタジー』でも「母の娘」というキーワードが出てきましたが、あちらが夫の支配下から脱出する妻の物語だったのに対し、こちらは母との関係に悩む娘の物語です。以前の結婚生活について「母の支配から逃れたと思ったら、夫の支配下に入っただけだった」と語る村山先生は、『ダブル・ファンタジー』で描ききれなかった母との関係に、『放蕩記』で思い切って踏み込まれたとのことです。


息子は父を乗り越えてはじめて一人前の大人とされますが、娘は母を愛さなくてはならない。そういう社会的な抑圧への反発もあり、村山先生はこの作品を描かれたそうです。たしかに、父親殺しは神話にもみられる物語の原型ですが、娘と母親は分かつことのできない親密さとともに描かれることが多く、母を愛さない娘は悪い娘とされています。


そんな、一人のアダルト・チルドレンとして書かれた『放蕩記』。主人公の新しい夫の名前がぼくの本名と同じなので(よくある名前なのだ)読んでいてくすぐったいものを感じないでもありませんが、しっかり読もうと思いました。