Electric Funeral

増田でこんなのが話題になっています。

ひいばあちゃんが死んだ


20歳の人が、ひいおばあちゃんのお葬式で火葬と骨拾いを経験し、死生観について考えるようになったというんですけど。


自分について考えても、火葬というものが自分に与えた影響は大きいなぁと思うんですね。


上の増田の人は、20歳のときにひいおばあちゃんが90歳だったそうで、祖父母も健在のようですが、ぼくの両親は二人とも祖父母の末っ子だったので、ぼくが18歳になるまでに祖父母はみんな亡くなってしまいました。


とくに早かったのが父方の祖父で、ぼくが4歳のときに65歳で亡くなったのですが、そのお葬式のときの話です。



見慣れた祖父の家に、見知らぬ人たちがみんな黒い服で集まり、なにやらせわしなく動き回っていました。


4歳になったかならぬかのぼくには、「死」ということも、お葬式という事態も、まだよく理解できておらず、なにやら不安な気持ちに襲われたのです。

そこには、いつもいるはずの祖父がいませんでしたから。


ぼくは、いったい何が起こったのか知りたかったのですが、奥の部屋で伯父や伯母たちと話しこんでいる父や、来客の対応に忙しい母には話しかけることもできず、取り残されてどうしたらいいのかわからずにいました。


そうこうしていると、見知らぬおじさんがなにやら白い布のかかった匣を持って、ぼくのもとにやってきました。
初めて見る顔でしたがその人はどこか祖父に似ていて、おそらくは祖父の兄弟かなにかにあたる人だったのでしょう。


その、おそらくぼくの大伯父である人物は、手に持った匣をぼくに見せていいました。

「なあワッシュ。おまえのじいちゃんこんな小さくなって、箱の中に入っちまったぞ」


ぼくは衝撃を受けました。

小さくなったってどういうコト? じいちゃんはこの箱の中にいるの? 死ぬってそういうことなの?


そしてぼくは、その匣の「中を見たい」と言い出し、大人たちを困らせたのです。


伯母たちは、ぼくに「じいちゃんはお空の向こうに行ったんだよ」と言いましたが、ぼくの興味は匣の中から動きませんでした。



この経験は、幼いぼくの精神に大きな影響を与えました。

「死」への興味が昂然と湧き上がり、しかもそれはスピリチュアルな方向ではなく、マテリアルへと向かいます。


つまり、「死体」という概念に、4歳のぼくはとり憑かれたのです。


それ以来、ぼくは死体が出てくる本や映画に異常な興味を示す子どもになり、猟奇の徒として成長していったのでした。


最近では、テレビで「衝撃映像」といってもせいぜい万引きGメンか暴走族の摘発ぐらいしかやりませんが、ぼくが小学生だった80年代には平気で人が死ぬ瞬間を放送しており、アメリカで警官が黒人を射殺する場面やら、燃え盛る高層ビルから飛び降りた人が落下していく映像やら、炎上するレーシングカーのコクピットから死んだドライバーの足がだらんと出ているフィルムなんかが、ぼくの心をおおいに刺激してくれました。
世界の決定的瞬間 - Wikipedia

90年代になると世間には鬼畜ブームが到来して、釣崎清隆の死体写真や、ビデオなどが見られるようになり、ぼくの渇望はようやく満たされることになるのです。

死体に目が眩んで―世界残酷紀行

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思えば、あのときの大伯父の言葉が、ぼくの人生の方向性を決定してしまったのですね。


パラノイド(紙ジャケット仕様)

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