凄絶邪剣試合

というわけで今日は「血だるま剣法」です。

血だるま剣法・おのれらに告ぐ

血だるま剣法・おのれらに告ぐ

この作品は、平田弘史先生が1962年に貸本として発表したもので、代表作の一つですが長らく絶版状態にあり、幻の傑作として知られていました。


そのあらすじはというと。

被差別部落出身の主人公猪子幻之助が、差別撤廃を訴えるため、狂気のように剣に打ち込むのですが、周囲の無理解と偏見によって虐げられやがてその怒りが爆発、師匠や兄弟子を皆殺しにすべく戦うというもの。

幻之助はこの戦いで両手両足を失いますが、腹を蛇腹状に改造して高速で地を這い、腕に刀をくくりつけてあくまで戦います。


幻之助と戦う兄弟子たちも、かつて幻之助によって両腕を切り落とされたり目を潰されたりしているので、もう出てくる人が軒並み四肢欠損者という恐ろしすぎる事態に。


結局、だるまのようになった幻之助は、兜に刀を仕込んだ兄弟子との対決で相討ちとなり、口からケツまで全身を貫かれて絶命。

震え上がっていた道場生たちは顔の皮を弛めて悦んだ、、という結末でした。



さてこの作品といえば、内容が差別的だとして部落解放同盟から糾弾され、回収・絶版の憂き目を見、40年以上にわたって封印されていたことでも有名です。


詳しい経緯は、この本の解説で呉智英先生が書かれていますが、「エタ」と「非人」が混同されていたり、「部落民は結婚差別のため近親結婚を繰り返しており、奇形が多い」などといった誤った記述があったこと(この辺は復刻版では修正・伏字化されている)や、部落民を残虐な人として描いていること、ラストで部落民が死んでみんなが喜ぶことが抗議の対象となっていたそうです。


ですが、この抗議は妥当とは言えず、とくにラストについては、幻之助の壮絶で悲劇的な人生を嘲笑する差別主義者の醜さを告発するような意図が込められていることは明らかで、著者の意図が正しく理解されなかったことは残念としか言いようがありませんね。



そんな経緯もあって、この作品は非常に高い評価を受けているのですが、けっこうツッコミどころは少なくないんですね。



まず、幻之助は右腕を失った隻腕のはずなのですが、冒頭の師匠斬殺の場面では明らかに両手があり、右手で刀を持ち、切り離した師匠の右手を、自分の右手で持って壁に血文字を書いています。



また、盲目の師範代と再会し、師範代も部落出身だということを知り、たがいに運命の皮肉さを悲しみ、立ち会う場面はなかなか泣かせるものがありますが、その戦いは一太刀で顔面を切られた幻之助が遁走し、次いで「翌朝に師範代を斬殺した」という字だけのひとコマで説明される、というのは明らかに伏線の回収を放棄しており、構成に破綻がみられます。



ちゃんと最後までネーム切らないで描きはじめたんでしょうかね。


また、四肢を失った幻之助は、山中で蛇を観察して、速く這うためには腹部を蛇腹状に改造する必要がある、と知って腹と胸を岩にこすりつけ、肉体改造を施します。


これは、明らかに山田風太郎甲賀忍法帖」に登場する地虫十兵衛のパクリ影響と思われます。


そう思って読むと、主人公の名前「猪子幻之助」というのも、「駿河城御前試合」第一試合の伊良子清玄と藤木源之助を合わせたようですし、師匠の「朽木一伝斎」という名も、第四試合に出てくる舟木一伝斎(「シグルイ」では、虎眼先生に下あごを飛ばされたぬふうパパとして登場)に酷似しており、ストーリー展開も「娘との結婚を反対する父親によって差別的扱いを受け、キレた男が復讐する」という骨子が共通しており、オリジナリティという点には疑問があります。



テーマは重く魅力あり、ストーリーや作画も過激で引き込まれるものがありますが、全体的に粗雑なつくりであることは否めませんね。発表当時の貸本劇画の水準を考えると仕方ないのではありますが、あまり持ち上げすぎるのもどうかと思います。評価は冷静に。


青林工藝社から復刻されたこの版では、1968年に描かれたリメイク版「おのれらに告ぐ」も収録されています。


こちらは、発表媒体が貸本から雑誌に移ったことや、数年の間に劇画表現が長足の進歩を遂げたこともあって作画や演出がグッと洗練され、荒唐無稽な残酷描写も減ったため、現代の眼で見るとかなり読みやすくなっていますが、ページ数をおよそ3分の1に切り詰めたためにストーリーがかなり端折られており、またオリジナルでは三段組で割られていたコマが、五段組にまで細かくなったことによって、迫力が大幅に減退する結果になってしまっています。


まぁいずれにしても瑕疵のある作品ではありますが、それを補うだけの魅力があることは確かですので、長らく読めない状態にあったことは大きな損失だった、と言えるでしょう。


読めなかったら批判も議論もなにもできませんからね。