マンガ殺すにゃ条例はいらぬ

例の「非実在青少年」問題ですが、どうやら結論は先送りになる模様です。


http://www.asahi.com/national/update/0317/TKY201003160528.html

漫画の性描写、都規制案 結論先送りの方向

 漫画キャラクターなどの性描写を規制対象に明記する東京都の青少年健全育成条例改正案について、都議会第1党の民主党は16日、今議会中に可否の結論を出すことを見送り、改正案を継続審議にする方向で調整に入った。共産党なども含め、議席過半数を占める野党会派が協調する見通しだ。

 民主党は「表現の自由を侵す恐れがある」などとして改正案に反対する漫画家らの意見も踏まえ、対応を検討。その結果、党内で「規制する基準の詳細を示す条例施行規則が定まっていない状態での採決は拙速」(幹部)との意見が強まっている。

 改正案を審議する委員会と本会議の議席はいずれも、民主、共産、生活者ネットワーク・みらいの野党で過半数を占めている。共産、ネットも改正案を問題視しており、継続審議に同調する方向だ。自民、公明両党は改正案に賛成する方針を固めている。19日の委員会で継続審議を決め、30日の本会議で最終決定する見通し。

とりあえず一安心、というにはまだ早いかもしれませんが、とにかく審議を深めてもらいたいところです。


そもそも、現行の法律や条令でもわいせつな出版物は規制できるわけですが、その取締りのあり方にも「恣意的」「基準があいまい」との批判が絶えません。

「わいせつコミック」裁判―松文館事件の全貌!

「わいせつコミック」裁判―松文館事件の全貌!

2002年には、成年マンガ『蜜室』がわいせつ物だとして、版元の松文館社長と編集局長、および作者のビューティ・ヘアが逮捕されるという事件がありました。これが世に言う「松文館事件」です。
このときは、ある男性が平沢勝栄衆院議員に「高校生の息子が成年マンガ雑誌を読んでいる、こんなものは規制してほしい」と投書したのがきっかけだったのですが、もとは雑誌「姫盗人」(2009年に休刊)が問題になっていたはずだったのに、なぜかビューティ・ヘアの『蜜室』が槍玉に上げられるという、不透明な経緯も問題視されました。


この裁判は2007年まで続き、最高裁で罰金150万円の刑が確定しています。最高裁も、「わいせつ物の取り締まりは表現の自由の侵害にはあたらない」という、いくら読んでも意味のわからない理屈を、あくまで通しました。この判例がありますので、国や議員センセイが気に食わないエロマンガは、いくらでも摘発できるはずです。


というか、そもそも日本国憲法では検閲を禁止しているので、刑法第175条(わいせつ物頒布)というのは不透明な運用しかできない法律なんですね。もし条例改正案が通ったとしても、東京都には出版物の検閲はできないなずなので、そこんとこをどう言い訳するつもりだったんでしょうか。審査団体でも作って、ご優秀な木っ端役人さまの天下りポストを確保する狙いもあったんでしょうけど。


また、国が重い腰を上げずとも、民間人でも、マンガ作品を葬り去ることはそれほど難しいことではありません。

血だるま剣法・おのれらに告ぐ

血だるま剣法・おのれらに告ぐ

平田弘史の劇画『血だるま剣法』は、1962年に大阪の日の丸文庫から、貸本誌『魔像』の増刊として刊行されました。


被差別部落出身の剣士・猪子幻之助が、彼を虐げてきた封建社会へ絶望的な戦いを挑むという物語。師匠を殺害して出奔し、兄弟子たちを次々に殺していくその過程で幻之助は両手両足を失いますが、肉体改造と独自の殺し技の開発によってあくまで復讐を遂げようとします。

この作品は、主人公の壮絶な執念と、容赦のない残酷描写によって著者の最高傑作と評されますが、内容が差別的で偏見を助長する、として、部落解放同盟大阪府連から抗議を受けます。


解放同盟が問題にしたのは、次の三点でした。

  • 部落の起源について「脱獄者や浮浪人、または不潔な職業に従事した者、あるいはその子孫のことをいい…」とするなど科学的歴史観に反した偏見で書かれている。
  • 部落民は復しゅうのために手段を選ばぬ残酷な人々であるとして部落解放運動をゆがめてとらえている。
  • 主人公を最後に死なせ、みんなでその死を喜ぶなど、部落民が死にたえればいいという考え方を読者に与えている。


しかし、このうち一つ目はまだしも、二つ目と三つ目は妥当な批判とはいえません。とくに三つ目は、幻之助の壮絶な人生と死を笑いものにする俗物たちの醜さを描いたものであって、誤読も甚だしいと言わざるを得ないでしょう。


ですが、この抗議によって日の丸文庫は同作の絶版・回収を決め、以後40年以上にわたって『血だるま剣法』は幻の作品とされてしまいます。


抗議を受けた当時、1960年代前半において貸本劇画は市民権を得ておらず、「残酷」「俗悪」「子どもに悪影響を及ぼす」として良識派市民の眉をひそめさせておりました。そのため、表現の自由のもとにこの作品を守ろうとする文化人の助けも得ることができず、結果として作品を封印することになってしまったのです。


白土三平の『忍者武芸帳』も、その残酷描写で問題視されていた時代でした。階級闘争を描いたあの作品が、「赤旗」でまで批判記事を書かれていたほどで、今よりマンガの地位は格段に低かったのです。

忍者武芸帳影丸伝 1 復刻版 (レアミクス コミックス)

忍者武芸帳影丸伝 1 復刻版 (レアミクス コミックス)


その後、40年以上を経た2004年に『血だるま剣法』は復刊されました。問題のあった、歴史的事実と異なる叙述は伏字となっています。リメイク版『おのれらに告ぐ』も同時収録され、呉智英による解説も載っています。


差別的描写については、70年代〜80年代に”言葉狩り”とも呼ばれるほど規制が強まりましたが、近年は「オリジナリティを尊重して」「著者に差別を助長する意図がない」というエクスキューズ付きで復刊される例が多くなりました。


問題視される表現は、社会情勢によって変化していきます。近年では、マンガにおける残酷描写が槍玉に挙げられることは、ひと頃に比べて少なくはなりましたが、この世から「おぞましい表現」を探り出しては撲滅しようとする人は、いつの世も絶えることがないようです。