男であること、女であること

今日発売のビッグコミックスピリッツに、二宮ひかる先生のおよそ一年ぶりの新作「オトシゴロ」が掲載されています。

今作の主人公は娼婦願望のある女子高生。彼女と、売春の噂のある女子生徒「アサミ」の対比を中心とした、サラリとして収まりのいいお話です。

ヒロインが「娼婦になりたい」というのは、男性と係わりを持つことに対してリアリティを持っていないということでしょう。男の方でも、未熟な男性は女性に対して「買うもの」という認識を持っていることがあります。「素人童貞」なんて言葉もあるくらいですからね。

つまり、自分と異性との接点を想像できないので、金銭の介在を仮定しなければならないわけです。

現実には、売春というのはとてもハードな仕事ですからね。
この女の子のように能天気ではいられないでしょう。


後半になると、彼女の願望はもう少し説明を加えられます。
「娼婦になりたい」というのは、「求められたい」「ヤりたいと思われたい」ということ。
上野千鶴子先生の本なんかにも書いてありましたが、女性にとってディザイアブル(欲望をかきたてる)な存在であるということはとても重要なことだといいます。

スカートの下の劇場 (河出文庫)

スカートの下の劇場 (河出文庫)

「男である」ということと「女である」ということは対称ではありません。

「俺は男でいたいんだ」という台詞と、「私は女でいたいのよ」という台詞が発せられるシチュエーションを想像すると、前者は拳銃かなんかをいじっているハードボイルドな雰囲気が似合いますが、後者の場合は娘に負けまいとする母親みたいな不倫っぽい雰囲気になりますね。

「人は女に生まれない。女になるのだ」と言ったのはシモーヌ・ド・ボーヴォワールですが

決定版 第二の性〈1〉事実と神話

決定版 第二の性〈1〉事実と神話

「男になる」という言葉には「何事かを成し遂げる」という意味があるのに対し、「女になる」という言葉には性的に成長するという意味しか与えられていないという言語的な事実が、日本文化の持つ差別的な要素を物語っているような気がします。


って、いつからフェミニズムの人になったんだ、オレ。


今回の作品では、アサミの元に「客」として訪れた男子生徒に対し、「今日は休業。かわりにこの子が相手するから」とヒロインが差し出されるというシチュエーションに、個人的にはかなりの萌えポイントがありました。「今度はアナタの番よ」みたいのに何故かやられますねぇ。

今週のスピリッツには柏木ハルコ先生の読切も掲載されています。
H度ではこちらの方が上かなぁ。絡みも濃厚で、性技巧の具体的描写もリアルだし。
絵柄を見ても、女の子のキュートさでは二宮先生ですが、肉付きの良さでは柏木先生に軍配が上がります。

あぁつくづくオヤジだ、オレ。