粗忽長屋

こちらのエントリが話題になってたので、見てみたのです。

http://d.hatena.ne.jp/takisawa/20070331#1175188781

「私のどこが好き?」と訊く女はどう答えたら一体満足なのか?

これは「精神」と「肉体」のどちらが『私』なのかという問題から派生する二元論ですね。「精神」と「肉体」の二元論。

 揺るぎない変わらない連続性のある「個」といえる私の自我は、その「本物」は脳の中にあり、その脳の中にあるものが「精神」であって、つまりは、「精神」こそが「私」の「本物」であって、この「肉体」は入れ物に過ぎない、と。

「私のどこが好き?」という質問は禁じ手にして欲しい。

 男が「顔とスタイルだよ」と答えた場合、女性はどう思うのか? 「私の身体が目当てなのね」とか言い出すわけだ。

 あるいは逆に、男が「考え方だよ。顔やスタイルは気にしないからね」と答えた場合はどうであろうか? これはこれで怒るだろう。

このエントリから、連想した作品が二つありました。


一つは、二宮ひかる先生の「寄生MIND」。
[rakuten:book:11089496:detail]
この作品では、ヒロインの中居沙恵はココロとカラダを分離して意識しており、「"私"はこのカラダに寄生している」と考えています。


女性の場合、自分の意思と無関係に起こる生理現象が男性より多いから、そういう考えを持つ人もいるのかもしれませんね。


そんで彼女は、「嫌なヤツ」だと思っていた男と深い仲になり、その行為がもたらす快感にさらに戸惑います。

"私"がこいつのカラダを欲したのか

私のカラダがこいつを気に入ったのか

混乱した彼女は、男に質問します。

私が好きなの?どっちが好き?
私のカラダ?私のココロ?


あなたのココロは?カラダは?

ピロートークでこんなこと言われたら、大抵の男はイラッとくるとも思われますが、この男は寝ぼけまなこでこう答えます。

心は心が、体は体が

好きなんじゃないの


これは模範解答だと思うんですが、沙恵は納得せずにこう考えます。

私のココロが彼のカラダを
私のカラダが彼のココロを好きだとしたら

この関係は何て言ったらいいのでしょう?


こんなふうにまで思われたら、ちょっとどうすればいいかわかんないですね。


この後、彼女は自分のカラダから思わぬ反抗を受けるのですが興味のある方は作品を参照のこと。



また、もう一つ連想した作品(「寄生MIND」を読んだときにも連想した)は、もちろんこちら。

刃牙がガイアに挑んだとき、「キミの体は戦うことを拒んでいる」などというガイアの口頭戦術に呑まれて戦意を失いかけましたが、「もう倒れてしまおう」と思っているにも関わらず体が勝手に反応して反撃、「あんたウソつきだ」と戦意を取り戻すのでした。


この漫画では、格闘技の実力のみならず、口喧嘩もけっこう重要な要素として盛り込まれており、「誰がパンツはいていいッつッた」「色を知る年齢か!」「エフッエフッエフッ」などなどたくさんの名台詞がその後も生まれ続けています。




まぁ最初のエントリの作者さんも言ってますが、ココロもカラダもお互いの在り様によって影響を受け合うものであって、そのどっちかだけ「本当の自分」として切り離して評価したって意味はないんでしょうね。

中島らもの さらに明るい悩み相談室 (朝日文芸文庫)

中島らもの さらに明るい悩み相談室 (朝日文芸文庫)

昔、「中島らもの明るい悩み相談室」で、

「夫は読んでいる本にすぐ感化され、そういう内容の話ばかりする。本当の夫自身と話がしたい」

という内容の、妻からの相談がありましたが、

本からの知識であってもそれはその人の血肉なのです。
そうしたものを抜きにして「本当の夫自身」というものはあり得ないのだ、と考えます。

とらもさんは回答されていました。



本や映画の影響を抜きにしたのが本当の自分自身だ、ということになったらわたしなんかは全くカラッポな人間になってしまうので、あんまり本当の自分だの自分探しだの言わないことにしています。



探し回ってやっと本当の自分を見つけたとしたって、じゃぁ本当の自分を見つけ出したこの自分はいってぇ誰だろう、ってことになっちゃうしね。