プロレス史における耳そぎ事件


プロレスの歴史を紐解くと、「耳そぎ事件」と言われるものが存在します。


特に名高いのが、1959年6月、モントリオールで起こった、キラー・コワルスキーがコーナー最上段からのダイビング・ニードロップでユーコン・エリックの耳をそぎ落としたという事件です。


コワルスキーは「殺人狂」のキャッチフレーズで知られた悪役の大物。長身で細身の体格に、酷薄な印象を与える凄みのある顔がよくマッチしていて、日本でも有名なレスラーです。

「事件」と書きましたが、これはまったくのアクシデントでした。本来は当てないはずのスネの部分が耳をかすめたために耳がちぎれてしまった、というもので、入院したエリックを見舞ったコワルスキーが、逆にエリックから「気にするな」と労われたそうです。

ところが、この事件は次のように脚色され、日本にも紹介されました。

片耳を失ったエリックは、試合もできなくなり、ノイローゼになってピストル自殺した。

コワルスキーの方も、血の海にピクピクうごめく耳を見て以来、肉が食べられなくなり、徹底したベジタリアンになった。

・・・どうですか、この悪意に満ちた捏造ぶり。
実際には、エリックが自殺したのは事故から10数年たってから離婚したときのことだし、コワルスキーは10代のころからベジタリアンだったんですけどねぇ。

昔のプロレスには、こういうアングルがよく見られました。
最近のプロレスは、健全になって試合のクオリティは向上しましたが、危険な魅力が薄れてしまった、とはオールドファンの多くが嘆くところです。


ちなみに、日本でも1968年12月1日、仙台は宮城県スポーツセンターで行われた、アントニオ猪木、金一(大木金太郎)組VSブルート・バーナード、ロニー・メイン組の試合において、バーナードの角材攻撃によって金の左耳が半分以上ちぎれかけたという事件がありました。

これも、金の石頭をアピールするために角材を頭で折るパフォーマンスをするつもりが、バーナードの手元が狂ったために耳に当たってしまったことによるアクシデントです。

このブルート・バーナードというレスラーも、よだれを垂らしてエヘラエヘラ笑いながら金的攻撃を繰り返すという実にヤバいキャラでした。今じゃ考えられないなぁ。一説にはデラウェア大学で哲学と演劇を学んだインテリだったともいわれるこの人物、晩年は思うような動きができなくなったことを悲観してピストル自殺したそうです。プロだ。