日本テロリスト列伝・左翼篇

左翼革命家とテロリストの間には、違いは一点しかありません。

革命が成功したかしていないか、だけです。

革命に成功し、政権を奪取した者のみが革命の闘士として賞賛され、敗北し投獄・処刑された者たちはテロリストの汚名を着せられることとなる。

また、勝利した者もその地位は安泰ではなく、権力闘争に敗れたそのときは「反革命的」の烙印を押され、ある者は処刑、ある者は追放の憂き目に遭う。


革命家というのはまことに修羅の道をゆくものなのです。


日本では、現在のところ、革命が成功して左派政権が誕生したことはありません。
よって、この国に革命闘士は存在しない。ただテロリストがいたというのみであります。



田宮高麿

1970年3月31日、羽田空港を出て板付空港(現在の福岡空港)に向かっていた日本航空351便ボーイング727型機、通称よど号が、日本刀や拳銃、爆弾などで武装した*19人組にハイジャックされ、北朝鮮へ行くように強要されました。


これが日本初のハイジャック事件、世に言うよど号ハイジャック事件です。


田宮高麿をリーダーとする犯人グループは、世界革命戦争を標榜していた共産主義者同盟赤軍派
東京や大阪で交番襲撃を繰り返し、また首相官邸襲撃を計画するなどその過激さで知られていました。


よど号は、給油のためいったん福岡に着陸したのち、朝鮮半島へ出発。

平壌国際空港と見せかけて韓国の金浦空港に着陸し、韓国当局と協力して犯人グループを逮捕しようとしますが気付かれ、失敗。


交渉の末、たまたま韓国を訪れていた山村新治郎運輸政務次官*2が身代わりとしてよど号に乗り込むことで犯人と当局との間に合意が成立、機は平壌へと向かいました。


北朝鮮当局に確保された犯人グループは亡命が認められ、乗員と山村は解放されて無事帰国を果たします。


田宮たちは北朝鮮を拠点としてさらなる革命活動を進めるつもりだったようですが、当局からは厄介者として扱われ、不遇だったといわれています。


田宮は1995年に病死。他のメンバーも不審死を遂げたり、消息不明になったりしています。
現実はそううまくいかなかった、ということでしょうか。


余談ですが。


彼らが出発する際、「我々は明日のジョーである」という声明を出したのは有名ですが、当時の連載では力石徹が死亡して間もない時期でしたので、日本一有名なジョーファンである彼らなのに、カーロス・リベラ金竜飛ホセ・メンドーサも知らないという奇妙な事態になっているのでした。

あしたのジョー ソングファイル ( サウンド・トラック ) TKCA-72506-K

あしたのジョー ソングファイル ( サウンド・トラック ) TKCA-72506-K

連合赤軍

よど号事件によるメンバー離脱や、大菩薩峠での53名一斉検挙などによって弱体化した赤軍派は、1971年、日本共産党革命左派神奈川県委員会(代々木の共産党から分裂した共産党左派から、さらに分裂した過激派)と統合し「連合赤軍」として再出発を図ります。


委員長は森恒夫、副委員長の永田洋子、書記長の坂口弘らが中心メンバーでした。


しかし、この時点ですでに激しい内ゲバにより二人の同士を殺害していたというから、最初から呪われた団体だったといえるでしょう。


この年の12月末から翌年2月にかけ、群馬県榛名山中に潜伏し訓練をしていた連合赤軍は、規律違反や日和見主義などの理由により、仲間たちを「総括」と称する苛烈きわまるリンチの標的にしていきます。


殴る蹴るはもとより、アイスピックで滅多刺しに刺殺する、酷寒の山中に放置して凍死させるなどその狂気はエスカレートの一方で、2月17日に森と永田が資金調達のため下山したところを逮捕されるまでの短い期間に、29人のメンバーのうち12人が殺害されるという異常事態になりました。


脱走者や逮捕者も相次ぎ、残り五人(坂口弘・坂東國男・吉野雅邦・加藤倫教・加藤元久)となった連合赤軍は、群馬県の山中を逃走するうち道に迷い、2月19日、軽井沢の別荘地にたどり着き、河合楽器の保養所だった「あさま山荘」に押し入って管理人の妻を人質にとり、立てこもります。


これが世に言う「あさま山荘事件」です。


立てこもりは2月28日までの十日間に及び、その間の銃撃戦で警察官二人と「人質の身代わり志願に来た」と称する野次馬一人が射殺、27人が重軽傷を負うという惨事になりました。


警察は、犯人グループの親を呼んできて説得させるという作戦に出ます。
しかしこれは完全に失敗で、逆に犯人を激昂させ態度をますます硬化させる結果となりました。


当時のテレビ局は、放送予定を大幅に変更してこの事件の中継を行い、高い視聴率をはじき出します。

機動隊が用意した重機が、鉄球で建物を破壊する場面の放送は有名で、現在でも「昭和の歴史を振り返る」的な番組で繰り返し放送されていますので、現在でも多くの人が見ていると思います。


この事件を題材とした映画には、現場で陣頭指揮を取った佐々淳行の監修による『突入せよ!「あさま山荘」事件』や、高橋伴明監督によるメタフィクションもの「光の雨」、熊切和嘉監督の大阪芸大の卒業制作「鬼畜大宴会」などが知られています。

突入せよ!「あさま山荘」事件 [DVD]

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2月28日には警察が強行突入を敢行して犯人グループを確保、人質を救出して事件はいちおうの収束を見ました。



3月には、先に逮捕されていたメンバーの供述によってリンチ殺人が発覚。

凄惨な「総括」が明るみに出て、世間はさらなる衝撃を受けます。


死体を掘り出した大きな穴の底に、いくつも人型の線が引かれている現場写真はショッキングなものでした。


この事件を受けて東映は、石井輝男監督・池玲子主演の女侠客映画を「やさぐれ姐御伝 総括リンチ」というタイトルで公開します。

やさぐれ姐御伝 総括リンチ~やさぐれ歌謡最前線

やさぐれ姐御伝 総括リンチ~やさぐれ歌謡最前線

でも内容はまったく関係なく、対立していたスケバンたちがトップレスになって「裸と裸のお付き合い〜」と一本締めで手打ちをするというわけのわからないものになっていました。


その後は、森は拘置所で自殺、永田や坂口には死刑判決が出ています。(坂東は後述)



また、リンチ事件の被害者は群馬県の山中に埋められていたのですが、これを発掘した群馬県警は、前年の大久保清事件でも埋められていた被害者を掘り出す作業を余儀なくされていたこともあり、「穴掘り県警」と揶揄されることになったのでした。

重信房子

戦前の右翼テロ組織、血盟団元メンバーの娘として生まれた重信房子は、長じて学生運動に身を投じ赤軍派に参加、田宮高麿グループが北朝鮮に拠点を作ろうとしたのと同様、海外に革命拠点を作るべく同士たちとパレスチナに移住。国内での赤軍派壊滅を受けて現地で「日本赤軍」を結成します。

赤軍派」「連合赤軍」「日本赤軍」は互いにつながりを持っており、混同されることも多いですがいちおう別団体です。

日本プロレス新日本プロレス全日本プロレスみたいなもの、と思えばいいでしょうか。

日本赤軍パレスチナ解放機構と連携し、70年代から80年代にかけてハイジャックや大使館占拠など数々のテロを起こし、先の事件で投獄されていた同士の解放を要求するなど、過激派の中でも息の長い活動で知られました。


あさま山荘事件で逮捕されていた連合赤軍坂口弘と坂東國男も、1975年のクアラルンプール事件*3により解放を要求されます。

坂東は超法規的措置によって解放され日本赤軍に合流、日本赤軍が解散した現在も逃亡中でその消息は不明です。
一方坂口は、同士を殺害したことへの反省からか釈放を拒否し、現在死刑確定中・再審請求中です。



しかし80年代後半から主要メンバーの逮捕が相次ぎ、2000年には重信も潜伏していた大阪で旅券法違反(他人名義の偽造パスポートを所有していた)で逮捕。
2001年には、獄中の重信が日本赤軍の解散を宣言しました。


連合赤軍永田洋子が、バセドー氏病の影響もあって醜女として有名だったのに対し、重信房子は若いころは美人テロリストとして有名で、左翼の間ではアイドル的な人気すらあったと言われています。


彼女がパレスチナ人男性との間にもうけた娘、重信メイは困難を経て日本国籍を取得、ジャーナリストとして活動しています。
この人もなかなかの美人です。

秘密―パレスチナから桜の国へ 母と私の28年

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大道寺将司

1970年代半ばには、「東アジア反日武装戦線」を名乗るグループによる企業爆破事件が相次ぎます。


中でも、大道寺将司をリーダー格とする班「狼」による三菱重工ビル爆破事件は有名です。

松下竜一 その仕事〈22〉狼煙を見よ

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三菱重工業は、戦前から日本の兵器産業の中心的企業として知られ、戦艦武蔵零戦も三菱で作られています。


そのため、侵略戦争に加担した死の商人であり、戦後も兵器を生産し続け経済的にアジアを侵略している、として「狼」の攻撃対象となったのでした。


1974年8月30日正午ごろ。
「狼」は、当時丸の内にあった三菱重工東京本社ビル一階出入口付近に時限爆弾を設置します。
ペール缶二つに40キロの爆薬を装填した、強力なものでした。


犯行グループは、爆破8分前に管理室に予告電話をかけます。


彼らは、死の商人である企業ならば社員の訓練も徹底されており、五分もあれば避難は完了すると思っており、社員に対する殺意はなかったそうです。


しかし、三菱重工が兵器を作っているからといってもオフィスで働いている人はふつうのサラリーマンであり、「サイボーグ009」の黒い幽霊ブラック・ゴースト団みたいにガイコツの仮面を被ったサイボーグがいるわけでもありません。

いきなり「爆弾を仕掛けた」と言われたらイタズラだと思うのがふつうです。


電話を受けた守衛に二度にわたって電話を途中で切られてしまい、仕方なく受付に電話し直します。交換手が上司に相談している間に爆弾は爆発してしまいました。


三菱重工ビルのみならず近隣のビルの窓ガラスが軒並み割れるほどの威力。

昼休みに外食に向かうサラリーマンやOLに、割れたガラスの破片が降り注ぎ多くの負傷者が出ました。

ビル内は血の海となり、結果として8人が死亡、370人が重軽傷を負うという、国内では史上最大のビル爆破事件となりました。


これに続き、別班「大地の牙」や「さそり」も三井物産鹿島建設などを爆破し、連続企業爆破事件として多くの企業が震え上がることとなります。



爆破は翌年まで続きましたが、1975年5月に大道寺ら8人が逮捕され、組織は弱体化。


しかし、8月には先述した日本赤軍によるクアラルンプール事件で、「狼」の佐々木規夫も超法規的措置により釈放。

1977年には、ダッカ事件*4によって大道寺の妻あや子や浴田由紀子が釈放されます。


ですが、大道寺は死刑判決を受けて現在も東京拘置所に収監中。

死刑確定中

死刑確定中

つい最近には、第二次再審請求を棄却されています。
http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20061125i311.htm



それにしても、この人は名前がかっこいいという点ではテロリストや殺人犯の中でも群を抜いていますね。
最初に見たときはペンネームか何かかと思いました。

*1:のちに、武器はすべて模造品であったことがわかっている

*2:この事件から22年後の1992年、精神障害の次女に刺殺された

*3:アメリカとスウェーデンの大使館を占拠、アメリカ総領事らを人質に取った。

*4:パリ発羽田行きの日航機が日本赤軍によりハイジャックされ、バングラデシュダッカ国際空港に着陸。高額の身代金とテロリストの釈放が要求された。福田赳夫首相(当時)は「人命は地球より重い」として要求を呑み、国際社会から「日本はテロ支援国家か」と批判を受けた。