日本大量殺人ワーストテン

犯行の残虐性や異常性は考慮せず、死亡した被害者の数が多い事件をピックアップしてみました。

1位:戦艦陸奥爆沈事件(1943年):犠牲者1121名

陸奥爆沈

陸奥爆沈

1943年6月8日、広島湾内の柱島泊地に停泊していた戦艦陸奥が、突如大爆発を起こし沈没。乗員1474人のうち1121人が死亡した。
当初は米軍の潜水艦による攻撃かと思われたが、のちの調査により、人為的な爆破の可能性が高いことが判明。
犯人は断定されていないものの、艦内で窃盗を繰り返していた下士官が、捜査の手が伸びてきたことを察して、火薬庫に侵入し放火した疑いが極めて濃い、というのが定説になっている。

2位:寿産院事件(1944年〜1948年):犠牲者103名(※諸説あり)

1944年から48年にかけ、東京都新宿区にあった寿産院に預けられていた乳児が、劣悪な環境で食事もほとんど与えられず、多数を凍死や餓死・窒息死させていた。養育費目当ての犯行であり、犠牲者の数は103人というのが定説だが、85人から169人まで諸説ある。逮捕された経営者夫婦には、懲役4年と2年という軽微な判決が下った。当時は妊娠中絶が法律で認められておらず、私生児の生命は非常に軽視されており、また医療水準も低かったため、乳児の死亡届が大量に提出されても役所は不審に思わず、安易に受理していた。


※なお、類似の貰い子殺し事件は明治から昭和にかけて各地で多発しており、当時の社会ではある程度常態化していた。中には犠牲者200人以上と伝えられる例もあり、死刑判決が下ったものも少なくないが、時代が古く、犠牲者の人数が正確かどうか疑問があるため、本エントリでは代表として寿産院事件を挙げるにとどめる。

明治・大正・昭和・平成 事件・犯罪大事典

明治・大正・昭和・平成 事件・犯罪大事典

3位:歌舞伎町ビル火災(2001年):犠牲者44名(※未解決)

2001年9月1日未明、新宿歌舞伎町の雑居ビルで火災が発生。ビル内は避難通路や防火設備がほとんど機能しない状態にあったため、一酸化炭素中毒により44名が死亡する大惨事となった。出火原因は放火とみられるが、未解決。
なお、小説家の深町秋生氏にはこの事件に関連する、このようなエピソードがあるとのこと。
バットを担いでやってくる"あいつ"が加える非情な一撃。すっぽんぽんの闘病記「くも漫」 深町秋生のコミックストリート バットを担いでやってくる"あいつ"が加える非情な一撃。すっぽんぽんの闘病記「くも漫」 深町秋生のコミックストリート


4位:津山事件(1938年):犠牲者30名

1938年5月21日未明、岡山県北部の集落で21歳の男が日本刀や猟銃を用い、近隣の住宅を襲撃して30名を殺害し自殺。当時としては世界最大級の大量殺人であり、横溝正史が『八つ墓村』でこれをモチーフにした事件を描いたことでも有名。

津山三十人殺し―日本犯罪史上空前の惨劇 (新潮文庫)

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5位:日航機羽田沖逆噴射事件(1982年):犠牲者24名

1982年2月9日、福岡発羽田行きの日航機が、羽田空港への着陸準備に入った直後、機長が突如エンジンを逆噴射したため急激に降下し、羽田沖の海面に墜落。乗員・乗客24名が死亡した。
機長は統合失調症を患っており、それまでのフライトでも操縦席で異常な行動が見られ、精神科を受診したが改善しなかった。業務上過失致死により逮捕されたが心神喪失状態とされ不起訴。
「逆噴射」や「心身症」、副機長が発した「機長、やめてください!」という言葉は流行語となり、『ドラえもん』でもパロディされるほどであった。

6位:勝田清孝事件(1972年〜1983年):犠牲者22名(※立件された事件は8名)

消防士の勝田清孝が、10年にわたりひったくりや強盗殺人など凶悪犯罪を繰り返し、1982年から83年にかけては、警察官から拳銃を盗み(ウソの交通事故を通報し、駆けつけた警官を車でひくという乱暴きわまりない犯行)、その拳銃を使って各地で強盗や殺人をはたらき、警視庁広域重要指定事件に指定され、名古屋市で逮捕された。
勝田は22件の殺人を自供したものの、そのうち14件は確証がなかったため立件されず、8件の殺人により起訴され死刑判決。2000年に死刑が執行された。

勝田清孝事件―冷血・連続殺人鬼 (新風舎文庫)

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7位:相模原市障害者施設殺傷事件(2016年):犠牲者19名

障害者施設で19人死亡26人負傷、元職員逮捕 相模原:朝日新聞デジタル 障害者施設で19人死亡26人負傷、元職員逮捕 相模原:朝日新聞デジタル
逮捕の男 衆議院議長宛てに手紙「障害者を抹殺する」 | NHKニュース 逮捕の男 衆議院議長宛てに手紙「障害者を抹殺する」 | NHKニュース
2016年7月26日未明、相模原市の障害者施設に元職員の男が侵入。刃物で入所者を刺し、19名が死亡した。
逮捕された26歳の容疑者は「障害者なんていなくなればいい」と話していたとされ、日本史上最悪のヘイトクライムとも疑われるが、精神科への入院歴や、衆院議長公邸に「日本国と世界平和のため障害者を抹殺する」「心神喪失による無罪の確約と、5億円の資金援助を」などと書いた手紙を持ち込むなど異常な言動も報じられており、責任能力の有無も慎重に判断する必要がある。


8位:連合赤軍事件(1971年〜1972年):犠牲者17名(※数え方には異論もある)

過激派組織である京浜安保共闘赤軍派が統合され発足した「連合赤軍」が、武力による革命を実現するべく榛名山中にて軍事訓練に入るものの、閉塞した状況での特異な精神性を打ち出した生活から、常軌を逸したリンチを繰り返すようになり、同志12名を殺害(山岳ベース事件)。構成員の死や脱走、リーダー格の逮捕などにより弱体化し、残った5名は山中を逃走するうち、軽井沢にあった河合楽器の保養所「あさま山荘」にたどりつき侵入。管理人の妻を人質に取って立てこもり、警察との銃撃戦で警察官2名が殉職、メンバーの説得を試みた民間人1名も射殺された(あさま山荘事件)。なお、連合赤軍結成前にも京浜安保共闘は脱走者2名を殺害しており、これを含めると一連の事件による死者は17名となる。


9位:大阪個室ビデオ店放火事件(2008年):犠牲者16名

2008年10月1日、大阪市の雑居ビル1階にあった個室ビデオ店から出火し、一酸化炭素中毒により16名が死亡。
逮捕された容疑者は「生きているのが嫌になり、店のティッシュペーパーにライターで火をつけた」と供述したが、公判では一転して否認。無実を主張したものの2014年に最高裁で死刑が確定した。

10位:長崎屋尼崎店放火殺人事件(1990年):犠牲者15名(※未解決)

1990年3月18日午後0時半ごろ、兵庫県尼崎市のショッピングセンター、長崎屋の4階インテリア売り場でカーテンが燃えているのが発見される。従業員が消火を試みるが火の勢いは強く、4階の全体に火が回った。下階にいた人は避難したが、延焼をまぬがれた5階に取り残された15名が、流入した一酸化炭素の中毒により死亡。防火設備が正しく機能していなかったために被害が拡大した。
火元の場所には火の気がなく、何者かによる放火と断定されたが有効な手がかりが得られず、2005年に公訴時効。長崎屋自体も、この事件によるイメージダウンも遠因となり、2000年には会社更生法を申請し事実上の倒産となった。

番外:オウム真理教事件(1988年〜1995年):犠牲者29名(総数)

宗教団体オウム真理教が起こした一連の事件では、1995年の地下鉄サリン事件で12名、1994年の松本サリン事件で7名、1989年の弁護士一家殺害事件で3名、1995年の公証人役場事務長殺害事件で1名、その他の信者リンチ殺害事件により合計29名が死亡している。
組織的な連続殺人と大量殺人が混在した、分類が難しい事件のため本エントリでは別格扱いとした。

オウム事件 17年目の告白

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番外:日本赤軍テルアビブ空港乱射事件(1972年):犠牲者24名

1972年5月30日、イスラエルのテルアビブ近郊にあるロッド国際空港(現・ベン・グリオン国際空港)で過激派組織・日本赤軍のメンバー3名が自動小銃を乱射、さらに手榴弾を投げつけて24名を殺害し、犯人グループも3名中2名が死亡、1名は逮捕された。
民間人を対象とした無差別テロは当時としては前代未聞であり、また、自らが死亡することを前提とした自爆テロも、これが世界初とされている。その後の、世界のテロリストに大きな影響を与えた、きわめて重大な事件であるが、国外で発生したためランキングからは除外した。

日本赤軍とは何だったのか―その草創期をめぐって

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