灰色の女

最近は、漫画家や作家がツイッターで創作の悩みを告白して、ファンが動揺することもよくありますが、なに、昔の作家だって同じようなことをしていたのです。


江戸川乱歩の苦悩記す手記発見 執筆は「おぞましき現実」 - 47NEWS(よんななニュース) 江戸川乱歩の苦悩記す手記発見 執筆は「おぞましき現実」 - 47NEWS(よんななニュース)

 作家の江戸川乱歩(本名・平井太郎、1894〜1965年)が36年に記した未発表の手記が見つかったことが17日、分かった。「独語」と題された手記は、36年6月18日から7月5日にかけての日記形式で原稿用紙38枚。欄外に「発表せず」と書かれていた。今から十数年前に遺族が立教大に寄託、成蹊大の浜田雄介教授らが基礎調査をした際に見つかった。
 乱歩は「月極めの通俗探偵小説を先月休載した。今月も危く休みかけてゐる所だ。併しそれでは家計が出来ないから、強いて書かうとしてゐる」と、行き詰まりを率直に吐露。「私にとつて今、小説作りはおぞましき現実である」とつづっている。

江戸川乱歩は自作について劣等感がとても強かった人で、キャリアの中で何度かこのような危機を迎えています。有名なのは、はじめての通俗連載となった『一寸法師』(1926年〜27年、朝日新聞。低身長の人物を犯罪者にする、とてもヤバい話である)を終了した後、自己嫌悪に陥って放浪の旅に出た(そこから復帰して書いたのが名作「陰獣」である)のと、1933年に、通俗作品ばかり書いていた乱歩が2年ぶりに本格推理小説を「新青年」に連載したものの、「結末が思いつきませんでした」と読者へのお詫びを載せて打ち切りになった『悪霊』ですが、1936年にもこういう状態になっていたんですね。

(現代の推理作家にも「犯人がわからない」と執筆がストップする人がいるという)


1936年に連載していた通俗ものというと、『緑衣の鬼』でしょうか。

この作品は、イーデン・フィルポッツの名作『赤毛のレドメイン家』を翻案したもの。全身緑色の怪人が美しい人妻を拉致する、という、乱歩お得意の通俗作品に仕上がっており、例によって乱歩作品の中では世評が比較的低いです。「講談倶楽部」1936年1月号〜12月号に連載されました。


なお、乱歩がこの次に「講談倶楽部」に連載したのがやはり翻案ものの『幽霊塔』。最近になって、宮崎駿がこれをテーマにした企画展示を、ジブリの森でやったので、ご存じの方も多いでしょう。

幽霊塔

幽霊塔

元はアメリカの小説だったのを、黒岩涙香が日本を舞台に翻案し、さらに乱歩がそれを書き直したものです。乱歩はこれを書くにあたり、涙香の遺族に謝礼を払ったとのことですが、もともとの原作者には無断だったあたりが、当時の日本における著作権というものの扱いを伺わせます。というか、涙香は『幽霊塔』の原作について「ベンジスン夫人による『ファントム・タワー』なる作品であり、それ以上のことは知らぬ」とデタラメを述べていたので、2000年に小森健太郎が原書を入手するまで、誰も本当の原作を読んだことがなかったというからすごい話であります。
灰色の女 (論創海外ミステリ)

灰色の女 (論創海外ミステリ)

(本当の原作)



乱歩作品では、『黄金仮面』で勝手にアルセーヌ・ルパンを出したり、『三角館の恐怖』ではロジャー・スカーレットの『エンジェル家の殺人』を翻案したり(戦後になっての話である)といった例もありますが、これらの著作権はいったいどうなっていたのだろう、などと思ってしまうのは、TPPにより著作権保護期間が70年に延び、来年には青空文庫に入るはずだった乱歩作品がさらに20年保護されることになったのと無縁ではなかったりします。というか、いまだったらまず「翻案もの」というジャンル自体があり得ないよね。