血まみれの野獣

名被害者・一条(仮名)の事件簿 (講談社ノベルス)

名被害者・一条(仮名)の事件簿 (講談社ノベルス)

山本弘会長のこちらのエントリを読みました。


山本弘のSF秘密基地BLOG:なぜ小説は問題にされないのか?
少女誘拐事件で、容疑者が「プリキュア」ファンだったことは取沙汰されるのに、バスジャック事件の容疑者が山田悠介の小説を読んでいたことは問題にされない。その不公平と世間の偏見を、ユーモアを込めて書いています。オチには笑いました。


ところで、事件が起こったときに小説の影響が取沙汰されなくなったのってそんなに古い話じゃなくて、昔はけっこうバッシングがありました。


なぜ、バラバラ殺人事件は起きるのか?【殺人+死体損壊を生む心の闇を解き明かす】

なぜ、バラバラ殺人事件は起きるのか?【殺人+死体損壊を生む心の闇を解き明かす】

今から80年前の1932年、東京の玉の井(現在の東京都墨田区)を流れる下水溝から、切断された男性の遺体が発見される事件がありました。世に言う「玉の井バラバラ殺人事件」です。「バラバラ殺人」という言葉は、この事件を報じた朝日新聞が発明したものです。


この事件は世間に大いにセンセーションを巻き起こし、新聞社が激しい報道合戦を繰り広げました。世論も煽られ、警察署に「バラバラ死体の首が見たい」と押しかけた人がいたり、発見現場には野次馬向けの屋台が出たりもしています。
そんな中、警察署に「犯人は江戸川乱歩に違いない」と訴え出る人までいたそうです。

江戸川乱歩は、『陰獣』にも見られるように自身についてのミスティフィカシオンを好んでいました。そのイメージ戦略が功を奏した、といえるでしょう。この例は乱歩にとっては勲章のようなものです。当然、警察は乱歩犯人説を相手にもしませんでした。


時代が下って戦後になると、探偵小説にも新たな潮流が生まれます。

野獣死すべし (光文社文庫―伊達邦彦全集)

野獣死すべし (光文社文庫―伊達邦彦全集)

1958年に、『野獣死すべし』で乱歩に見出されてデビューした大藪春彦は、たちまち時代の寵児となりますが、続いて発表した作品がアメリカ作品の盗作だと指摘され、ミステリ作家の親睦団体「他殺クラブ」を脱退しています。1965年には拳銃不法所持で逮捕されるスキャンダルもあり、強烈な反体制志向と傲岸不遜ともいえる言動もあいまって、毀誉褒貶の激しい人物でありました。
ちなみに、盗作騒動について当時の「週刊文春」が大きく取り上げたのですが、その記事を書いたのが、トップ屋時代の梶山季之です。
ルポ 戦後縦断―トップ屋は見た (岩波現代文庫)

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大藪春彦は、デビュー作『野獣死すべし』から、『蘇える金狼』『ウインチェスターM70』『唇に微笑 心に拳銃』などなど、多くの作品で「銀行強盗」「現金輸送車襲撃」をモチーフにしています。
1968年に府中市で3億円事件が発生しますが、このときは『血まみれの野獣』という作品との酷似が指摘されました。

血まみれの野獣 (光文社文庫)

血まみれの野獣 (光文社文庫)

3億円事件では、犯人は銀行の支店長宅を爆破するという脅迫状を出しておいて混乱させ、偽装白バイに乗って、現金輸送車を「支店長宅が爆破された」と言って止め、現金を強奪しましたが、『血まみれの野獣』では、主人公は府中市にある東京競馬場に爆弾を仕掛けて混乱させ、偽装パトカーに乗って現金輸送車を襲います。


あまりに手口が似ているため、大藪春彦は警察から参考人招致を受け、マスコミからは「強盗の教科書」と批判を受けました。
とはいうものの、大藪作品で現金輸送車襲撃は頻出するモチーフなので、特定の作品を挙げて批判しても仕方ないんですけどね。


1979年には、大阪市三菱銀行(現・三菱東京UFJ銀行)北畠支店に、梅川昭美という男が猟銃を持って押し入り、行員や客を人質にして立てこもり、警官と行員4人を射殺する事件が発生しました。

三菱銀行事件の42時間 (新風舎文庫)

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TATTOO「刺青」あり [DVD]

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警察に射殺された梅川の自宅からは、大藪春彦の小説がたくさん見つかり、その出で立ちからも大藪作品に影響を受けたことは明白でしたが、当時は角川文庫が大藪作品を大量に発刊していた時期で、『蘇える金狼』が松田優作主演で映画化されることもあってか、大藪春彦がバッシングを受けることはなかったようです。
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どうやら、70年代以降は小説がすっかり市民権を得て、影響を受けた犯罪があってもバッシングされなくなったと考えられますね。
アニメや漫画、ゲームは小説より歴史が浅いせいか、未だに小説ほどの市民権を得ていないのが現状のようです。