ディスタービング・ザ・ピース

先日の記事(Acting Like A Maniac, WHIPLASH!(←それじゃない) - 男の魂に火をつけろ! Acting Like A Maniac, WHIPLASH!(←それじゃない) - 男の魂に火をつけろ!)←この続報です。

町山さんにアンサーさせて頂きます(長文注意) - naruyoshi kikuchi INTERNET TROISIEME 町山さんにアンサーさせて頂きます(長文注意) - naruyoshi kikuchi INTERNET TROISIEME

『セッション』菊地成孔さんのアンサーへの返信 - 映画評論家町山智浩アメリカ日記 『セッション』菊地成孔さんのアンサーへの返信 - 映画評論家町山智浩アメリカ日記


町山さんは「主人公と監督が、音楽に救われる姿が描かれている」と評しましたが、菊地さんは「あの監督はまだ音楽に救われてはいない」と指摘。しかし、このやり取りの中で菊地さんは「デミアン・チャゼル監督は、なぜこのような映画を作ったのか」という点で理解が深まり、町山さんも「音楽がもたらす本当の感動とは何か」について、菊地さんの真意がよくわかったとのこと。まことに美しい流れであり、久しぶりに、ネット上のやり取りで本当にいいプロレスを見せてもらった気がします。お互いに相手のやりたいことをしっかり理解し合って、そのうえで自分の持ち味を出すのがプロレスの真髄です。昨今は、自分のやりたいことを無批判に受け入れてもらえないとき、論争相手やギャラリーに向かって「プロレスがわかってない」みたいなことを言い出す自称論客が多いですが、さすがにこの2人のレベルになると、ここまでしっかりした言葉のプロレスができるんですね。



んで。



町山さんは、ヘンテコな勝負が出てきた音楽映画の例として、『クロスロード』を挙げています。

ウォルター・ヒル監督のこの映画は、ジュリアード音楽院クラシックギターを学んでいた少年ユージン(ラルフ・マッチオ)が、ロバート・ジョンソンのブルース・ギターに魅せられ、やがて、伝説のブルースマンであるウィリーとともに、彼がかつて悪魔と契約したという十字路(クロスロード)を目指して旅をする、というお話。
旅の間には、美しい少女との出会いと別れなどもあり、ロードムーヴィーとしてとても味わい深く、また、ライ・クーダーによるサウンドトラックもとても良いのですが、旅の目的地に着くと、そこには本当に悪魔がいて(見た目には人間)、契約を破棄したいならウチのギタリストと勝負しろ、とスティーヴ・ヴァイとの速弾きデスマッチを強要するのであります。悪魔に魂を売る、というのは何かの比喩かと思っていたら、本当に悪魔が出てくるので驚きます。


もちろん、スティーヴ・ヴァイに勝てる人なんてほぼいないので、ユージンはピンチに陥るのですが、ここでユージンは左手薬指のスライド・バーを捨て、これまで培ってきたクラシックのテクニックでテレキャスターを駆り、超速弾きを見せてヴァイに勝利するのです。

(実際には、どちらのテイクもスティーヴ・ヴァイが演奏している)


ただ、町山さんはこれを“最初観た時は「ロックよりクラシックが偉いって結論かよ!」と憤慨した”、“本当に大事なのはテクニックよりも、グルーヴとかノリとかソウルとかスピリット”と批判しているんですけど、ぼくがこの場面を観たときは、「本当に力を発揮するのは、借り物の付け焼刃ではなく、これまでずっと研鑚してきて血となり肉となっているものだ」という意味に感じましたけどね。かなり派手なチョーキングも入っているので、クラシックのテクニックだけではありえないし。まぁその辺は、町山さんはパンクの人だからロック観の違いというか(←便利なフレーズ)。


あと、ウォルター・ヒル監督はここできっと、ブルースのフィーリングとクラシックのセンスを融合させた音楽を提示することを試みているんでしょうけど、たぶんイングヴェイ・マルムスティーンの存在を知らなかったんだろうなぁ。
あのぐらいのフレーズなら余裕で弾けるはずのヴァイがギブアップしたのも、ちょうどアルカトラスに加入してイングヴェイのコピーをさせられていたころだったので、「もうヤツの真似はまっぴらだ!」的な気持ちだったのではないか、と妄想してしまうのが「ヤングギター」脳のなせる業なのでありました。

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