さらば亜仁丸

派手なパフォーマンスで人気を博した元阪急ブレーブス投手で、テレビタレントとしても活躍したアニマル・レスリーが亡くなったとのこと。まだ54歳の若さであり、残念な訃報です。


http://www.zakzak.co.jp/sports/baseball/news/20130430/bbl1304301146003-n1.htm

元阪急アニマル投手急死 54歳、腎不全7カ月前から人工透析

 元阪急ブレーブスの投手で、引退後は「亜仁丸レスリー」の芸名でタレント活動もしたアニマル・レスリー=本名・ブラッド・レスリー=さんが27日(日本時間28日)、米カリフォルニア州マリナ・デル・レイの病院で腎不全のため死去した。54歳。同州出身。米芸能サイト「TMZ」が29日(同30日)に報じた。

 前妻のチホ・スビモノフさんが同サイトの取材に対し、レスリーさんの死亡を確認したと答えた。レスリーさんは腎臓疾患のため、7カ月前から人工透析を受け、自宅療養を続けていた。危篤との報告を受けたチホさんは、病院に駆けつけたが息を引き取ったあとだったという。

 1986年に来日。198センチの巨体がマウンド上で雄たけびを上げ、味方捕手を殴ってスキンシップを図る特異のパフォーマンスで人気を博した。86年は19セーブをあげたが翌年は5セーブで現役を引退。通算7勝5敗24セーブだった。

 その後「亜仁丸レスリー」としてタレントに転身し、TBS「風雲!たけし城」やCMに出演。帰国したあとも、「ミスター・ベースボール」(92年)、「リトル・ビッグ・フィールド」(94年)、「スペース・ジャム」(96年)、「バディ」(2000年)などの映画に出演した。

 アニマルのニックネームは、来日前からマウンド上で派手なガッツポーズをしていたことから付けられた。78年にドラフト1巡目で大リーグ、レッズに指名されて入団し、82年にメジャーデビュー。

 同年、101敗を喫したチームの中で、動物のように叫ぶパフォーマンスが話題となった。85年にミルウォーキー・ブルワーズに移籍。メジャー通算1勝3敗6Sだった。

 闘病生活前まで、レスリーさんは、サンフランシスコにあるジャイアンツの練習施設で少年野球の指導に当たっていたという。おとなしい選手の多い日本野球に衝撃を与えた外国人選手の1人だった。

亜仁丸レスリーといえば、時代劇ファンには1988年の必殺スペシャル『必殺ワイド・新春 久しぶり!主水、夢の初仕事 悪人チェック!!』で助っ人仕事人を演じたことでおなじみです。



このドラマは、「必殺スペシャルを撮影中の藤田まことが、夢の中で『必殺』の世界に入り込む」という趣向で作られており、楽屋オチを全面的にフィーチュアした異色作でした。
アニマルはこの中で外国人助っ人の「鬼丸」を演じており、藤田まことが「外人助っ人は金がかかるんだよな」と嘆くとおりに、頼み料のほとんどを1人で持っていってしまいます。殺し技は鉄球を投げるというシンプルなもの(鉄球と鎖鎌の合わせ技も使うけど)で、『新必殺仕置人』で藤村富美男がバットを用いたのも併せて実に味わい深いものがありました。
新 必殺仕置人 (子之巻) [DVD]

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んで、アニマルが在籍していた当時の阪急で監督を務めていた、上田利治のコメントがこちら。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20130430-00000076-spnannex-base

当時阪急の監督だった上田利治さんは「ひと言で言えば愛すべき男。みんなに見せる表情よりもうんと気が弱い子。登板が近づくと震えていたのを覚えている」と、オーバーなパフォーマンスからは想像もできない素顔を持つ故人をしのんだ。

 また、広島県神勝寺での秋季キャンプでは周囲が寺だったため「若い選手が、お化けが出ると伝えると、怖いと言って(大阪に)帰ってしまった」と気弱な素顔の思い出話も。

 「全幅の信頼を置けないリリーフだったが、力があればもっと人気が出て長くやれたと思う。ご冥福をお祈りします」とその死を悼んだ。

いいこと一つも言ってねえじゃねえか。

知将 上田利治

知将 上田利治