黄金のバンタム

海賊とよばれた男 上

海賊とよばれた男 上

百田尚樹氏の『海賊とよばれた男』が本屋大賞を取りましたが、その百田氏のノンフィクション『「黄金のバンタム」を破った男』を読んだッス。
「黄金のバンタム」を破った男 (PHP文芸文庫)

「黄金のバンタム」を破った男 (PHP文芸文庫)

ファイティング原田が、「黄金のバンタム」と呼ばれた名チャンピオン、エデル・ジョフレを破って世界バンタム級王者になった話を中心に、日本の戦後史と絡めて描いた本です。


ボクシング経験者の百田氏が、史上最高と呼ばれるボクサーについて書くその構造は、増田俊也氏の『木村政彦はなぜ力道山を殺さなかったのか』と共通しています。と思ったら文庫解説が増田氏でした。

木村政彦はなぜ力道山を殺さなかったのか

木村政彦はなぜ力道山を殺さなかったのか


増田氏の『キムコロ』が「昔の柔道の段は今より権威があった」と何度も何度も繰り返して書いたのと同じように、百田氏の『バンタム』も、「昔のボクシング王者には今より権威があった」と繰り返し繰り返し書いています。確かに、ファイティング原田の戴冠当時は団体も1つで(ちょうど原田が王座についた直後に、WBAWBCが分裂する)階級も少なかったので、王者の数は少なく、タイトルマッチに挑むためのハードルは高かったのですが、それでもこんなに繰り返し書かなくてもと思ってしまいます。


ファイティング原田は殺人的な練習量と過酷な減量で有名だった人で、百田氏の筆も、その精神力を讃える方向性で躍っています。
原田の普段の体重は70キロ近くあったため、試合のたびに20キロ近い減量を余儀なくされ、笹崎ジムでは試合が近づくと、水道の蛇口はシャワーの栓も含めて針金で封印されたといいます。これは『あしたのジョー』の力石徹のモデルになったことで有名なエピソードです。

ちばてつやとジョーの 闘いと青春の 1954日

ちばてつやとジョーの 闘いと青春の 1954日



のちに日本プロボクシング協会の会長にまでなったファイティング原田の伝説により、日本のボクシング界では「ボクサーは過酷な減量を克服してこそ強くなる」という精神主義が定着し、今でもある程度は生きています。


これに真っ向から異を唱えたのが、1982年から86年まで世界スーパーフライ級王座に君臨した名チャンピオンの渡辺二郎で、「そんなに減量をするのは普段の節制が足りないからではないか」と意見した、といわれています。


それと関係あるかどうかわかりませんが、先日、死刑確定からの拘留期間が世界最長だとしてギネスブックに載った袴田巌は、「ボクサーがそんなことをするはずがない」として、ファイティング原田JBCから再審請求などで熱心な支援を受けていますが、暴力団員になった渡辺二郎は完全に見捨てられ、歴代チャンピオンの列からも抹消されているのでありました。

新装改訂版 新書判 山口組動乱!!2008-2011 司忍六代目組長復帰と紳助事件

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