被災地の現在

さて。


昨日は、東京から来た某出版社の編集者さんとともに、東日本大震災の被災地を視察してまいりました。


まずは国道6号線をひたすら南下し、通行止めになっている南相馬市の小高区まで。

ここは福島第一原発からおよそ10.5kmの地点。警察が通行規制をしています。ガイガーカウンターなどという軟弱なものは持っていきませんでしたが、南相馬市の発表によれば放射線量は0.3〜2.0マイクロシーベルトの範囲内にあり、健康に影響を与える数値ではありません。


小高区は、4月16日に警戒区域計画的避難区域が解除されたばかりで、津波被害からの復旧がまったく進んでいません。国道沿いには破壊された店舗や住宅がまだ撤去されることなく残っており、海岸に近づくとさらにその爪跡は鮮明になります。


海岸沿いの防風林は、ほとんどの木が抜けてスカスカの状態。これは東日本の太平洋沿岸すべてが同じ状況にある、といってもいいです。




かつて水田だったところは荒れ果てた湿地帯と化し、重機の残骸が錆びて朽ちるにまかされています。



自動車の残骸も、いまだあちこちに残っています。


警戒区域が解除され、一時帰宅が許可されたといっても、インフラの復旧はまったく進んでおらず、人の姿を見かけることはほとんどありませんでした。
被災直後に宮城県の沿岸部で見られたような光景が、南相馬市ではいまだにその状態のままにおかれているのです。


それからずっと北上し、ほぼ数kmおきにあるガレキの山を横目に見ながら(きっと「放射能ガレキ」と呼ばれるんだろうなあなどと思いながら)宮城県に入り、山元町の中浜小学校へ。

ここはおそらく宮城県でもいちばん海に近い学校で、本来ならオーシャンビューのすばらしい環境なのですが、津波で壊滅的被害を受け(児童・教職員は屋上に避難して無事だった)いまは校庭が自動車の墓場になっています。



ねじくれ、ひしゃげたおびただしい自動車の残骸。一台一台、どれもが誰かの愛車だったもののなれの果てです。これをすべて処理するのに、どれぐらいの時間が必要になるのか。想像もつきません。


ガレキの広域処理に反対している人もいますが、現地にどれだけ大量のがれきがあるのか、実際に見てみると「現地ですべて処理」というのがいかに現実離れしているかわかると思います。海岸道路には、本当に数kmおきの間隔で、巨大なガレキの山が点在しているのです。しかも、これは宮城県でも比較的ガレキの少ない地域の画像です。石巻市南三陸町ではもっと大量になります。


http://mytown.asahi.com/miyagi/news.php?k_id=04000001206180003

石巻がれき処理 北九州市受け入れへ

 北九州市は、東日本大震災で発生した石巻市がれき処理を受け入れる方針を固めた。北橋健治北九州市長が6月定例市議会最終日の20日に表明する。処理の安全性などに関する市民への説明会が一巡し、一定の理解が広まったと判断した。西日本での震災がれき処理は初めて。
 年間最大約4万トンのがれきを海上輸送し、3焼却工場で処理する。最終的に国が費用負担するが、市は定例会後の臨時会で関連予算案を提案する。
 北九州市は、受け入れの必要性や処理の安全性について理解を得るため、タウンミーティングや全7区で大規模な説明会を開いた。
 17日に八幡東区であった最後の説明会では、受け入れに理解を示す意見の一方で、「がれきを持ってくるべきではない」などの反対意見もあったが、北橋市長は記者団に「安全性について、多くの人に理解されつつあるという手応えを感じている」と述べていた。

北九州市では、石巻市のガレキ処理を受け入れる方針を固めてくれました。試験焼却のときには強硬に反対する勢力もいましたが、大方の市民からの理解は得られたようで何よりです。


東京の感覚では、東日本大震災はすでに過去のことで、話題の中心は原発に移って久しいようですが、被災地では、仮設住宅に移った避難民の今後の居住先や、荒廃した土地の再生、そして大量のガレキ処理と、問題が山積みです。
だからといって、何かしてくれとはいいませんから、せめて震災はまだ過ぎ去っていないのだと心のどこかに置いておいてほしい、そう願います。