顔晴れ! 岩手!

連休を利用して、親類のお墓参りのため、生まれ故郷の釜石市へ行ってきたのですが、津波の被害はやはりすさまじく、見慣れた街がすっかり廃墟になっている光景にすっかり打ちのめされてきました。

大平墓地公園から見た釜石湾。ここは高台なので津波の被害を受けておらず、いっけん平和ですが、

寄って見ると、防波堤がバラバラに砕けているのがわかります。この防波堤は、1978年から31年の歳月と総事業費1215億円をかけ、2009年3月に完成したもの。中央の開口部を含め総延長は1960m、最深部は水深63mという世界最大級の防波堤で、2010年には世界最深の防波堤としてギネスにも認定されたのですが、今回の津波によって完全に破壊されてしまいました。とはいえ、この防波堤によって津波は8mの高さがあったのが6m低くなり、到達時間も6分ほど遅れたといいます。釜石市では死者・行方不明者が1300人を超える(人口の3%以上)人的被害が出ていますが、もし防波堤がなければもっと大きな被害になっていたことでしょう。隣の大槌町では人口の10%以上が人的被害に遭っています。

釜石のシンボルである釜石大観音は、鎮魂の祈りを捧げるかのように、変わることなく海を見つめています。


港湾部に入ると、破壊の爪あとはより鮮明に。

前にどんな建物があったのか、もうわからないほどの惨状です。

被災地域では、あちこちに津波で流された自動車を集めた、車の墓場が点在しています。この場所は、新日鉄の物流拠点だったのですが、今はこのような状態に。




まだ回収されていない、車の残骸も残っています。




港はコンクリートも無残にはがれ、鉄の手すりなども原型をとどめないほどひしゃげています。この写真の左上に見える青い建物は、新日鉄の巨大な倉庫。海上保安庁が撮影したこの動画で、巨大な貨物船が突き刺さった建物です。


津波から2ヶ月ほどが過ぎましたが、現状はこのとおり。

完全に破壊された、そのまま手付かずの状態です。これをいったいどう復旧できるのか、想像もつきません。


港湾部に隣接する市街地に入ると、このような状態に。


自衛隊やボランティアの活躍で汚泥はすっかり取り除かれ、建物の中から瓦礫が道路に出されています。


釜石市は衰退が著しい街で、以前から古い繁華街がシャッター通りになって久しかったのですが、そこへもってきて今回の大津波に遭い、無傷な建物はひとつも残っていません。

釜石市民が愛する伝統芸能、虎舞のオブジェも無残にひっくり返っていました。

  • 釜石虎舞 〜釜石よいさ〜


廃墟の町並みを釜石駅方面に向かっていくと、



新日鉄の広大な敷地内にも、瓦礫の山ができていました。2ヶ月かかってようやくここまで、という段階です。


ここを分岐点として釜石の町は海側と山側に分かれており、海側は完全に破壊されていますが山側はほぼ無事でした。明暗がくっきり分かれるのが津波災害の残酷さだ、とはすでにあちこちで指摘されているところですが、こうして目にするとやはり胸に来るものがあります。


無事だった市内の書店には、大震災コーナーができていました。

いくつもの報道写真集とともに、吉村昭の『三陸海岸津波』が大量に平積みされていたのが印象的でした。

三陸海岸大津波 (文春文庫)

三陸海岸大津波 (文春文庫)


破壊されつくした街ではありましたが、それでもここまで来るのに相当の苦労があり、多くの人の手が差し伸べられたことでしょう。街のあちこちに「復興支援ありがとう」のポスターが貼られており、実際、短い滞在の間に何台も自衛隊の復興支援車や、ボランティアツアーの大型バスを目にしました。


釜石市をあとにして仙台へ帰る道中にも、あちこちに「支援ありがとう」「私たちも頑張ります」というメッセージがみられます。

遠野市には、こんな横断幕もありました。これは誤字ではなく当て字でしょう。被災者の顔に、一日も早く晴れの日が来ますように。