木乃伊の恋

数々の問題発言もまるでものともせず、圧倒的強さで四選された石原慎太郎と痴児が、御用新聞にこんなコラムを載せています。


http://sankei.jp.msn.com/affairs/news/110502/dst11050203260001-n1.htm

【日本よ】石原慎太郎 国家再生のために

 「日本よ!」、と天が呼びかける声が聞こえるような気がする。私たちは今回の東日本大震災をどう受け止めるべきなのだろうか。この出来事を国家覚醒の大きなきっかけとして捉えなければ、この未曽有の犠牲が報いられることはあり得まい。


<中略>


 享受してきた平和と安寧なるものが危機に晒されている今、被った被害の復元に努めるだけではなしに、私たちはもっと根源的なものへの反省と修復を志すべき時に至ったのではなかろうか。それは国家存立のために絶対必要な国防という要因に関する安易な他力本願や、そのすり替えに享受してきた薄っぺらな繁栄、そしてそれを促進してやまない我欲、物欲、金銭欲、性欲の氾濫と、それにおもねり続けてきた政治の安易なポピュリズムを淘汰(とうた)する決心をしなければ、この国の真の復興、復活などありはしまい。


 自分を産み育ててくれた父親の弔いもせずに三十年も放置してミイラ化させ、その年金を詐取してはばからなかった家族なるものはこの日本以外には存在し得ぬ人種に違いない。多くの日本人の芯における堕落をこれほど象徴した事例を私は知らない。あの事件が発覚した前後にテレビで見たアフリカ象に関する番組では一族の長老の死に臨んで一頭々々子象までが長い鼻で死骸に触れて別れを告げる象たちの姿が映しだされていたが、畜生ですら行う親族への弔いもせずに放置する者たちに人間としてのいかなる資格があるというのだろうか。


 今回の大災害からの復興には現地の被災者たちだけではとてもかなわぬ、国民全体での協力が不可欠に違いない。それは端的に、国民一人々々が自らの我欲をこらえて節制することだ。それによって国民の誰しもが人生の中での堪え性、耐性をとりもどし、ひいては国家そのものが耐性をとりもどし、国家としての品格と存在感を示すことが出来るようになるはずだ。


<後略>

あとは例によって自動販売機とパチンコの規制論です。この人はなんでこれほど自販機を憎むのかなぁ。手塚治虫は生前、自動販売機の使い方を知らずに恥をかいたことがあるといいますが、慎ちゃんにも似たような経験があるんだろか。


それにしても、東日本大震災立正安国論を安易に結びつけるこの発想は、いくら批判されても変えることができないようですね。国防と津波にいったい何の関係があるんだ。性欲と復興に何の関係があるんだ。爺さんをミイラにした家族と、被災地の復興に何の関係があるんだ。


この老人は、やたらとあのミイラ化事件*1を引き合いに出して「日本人は堕落した」と嘆いてみせるのですが、なんでここまでこだわるんですかね。自分も死んだら良純にミイラ化されて、年金を詐取される強迫観念にでも囚われてるんじゃないですかね。

石原家の人びと (新潮文庫)

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ちなみに。



と痴児が生まれるより前の古きよき時代、昭和2年の出来事ですが。


大阪市西成区の空き家で、ミイラ化した男性(64)の遺体が見つかるという事件がありました。
この家には以前、男性と妻、二男一女の五人家族が住んでいたのですが、失業した父が家族に当り散らすなどして折り合いが悪く、やがて父は脳卒中で倒れ身体が不自由になります。折り合いの悪かった家族(とくに長女)はろくに世話をせず、大便を新聞紙に包んで積み重ねておくなど不衛生な環境に放置し、男性を衰弱死させてしまいます。家族は遺体を放置したまま一年ほど生活しますが、やがて家賃が払えなくなって一家は離散。家の持ち主が、ミイラ化した遺体を見つけて事件が発覚したのでした。


http://yabusaka.moo.jp/fukou.htm


この事件は「魔の家事件」「日本一の親不孝事件」などと当時はセンセーショナルに報じられましたが、同じ年に、現在の京丹後市を中心に大きな被害を出した北丹後地震*2と結びつけるような政治家がいたかどうか、今となっては知る由もありません。