I FUCK , FUCK ME

あなたは独身のホラー映画オタです。

お隣にさばさばしたシングルマザーと二人の息子、そして親を亡くした可愛い姉妹が越してきました。

五人家族の母子家庭です。


あなたはホラー映画オタがばれて、その母子家庭を怖がらせないように、近所ではホラー映画を観ないことにしました。

少し離れたシアターN渋谷さんに映画を観に行くことにしました。

そのシアターN渋谷さんでばったり出会ったのは…なんとそのさばさばお母さんでした。

そのお母さんが観ようとしていたのは、新作ホラー映画『隣の家の少女』でした。

The Girl Next Door

The Girl Next Door



あなたは迷わず児童相談所に連絡しますよね?

俺はホラー映画を観たことありますが、それでも通報します。




映画と現実は別、なんて話は

ホラー映画オタでも本音では信じられないものじゃありませんか?

※元ネタ:http://anond.hatelabo.jp/20100327043926

あなたは独身のエロゲオタです。

お隣に爽やかなイケメンお父さんと、可愛い娘さんが越してきました。

二人きりの父子家庭です。




あなたはエロゲオタがばれて、その父子家庭を怖がらせないように、近所ではエロゲを買わないことにしました。

少し離れたゲーム屋さんにエロゲを買いに行くことにしました。

そのゲーム屋さんでばったり出会ったのは…なんとその爽やかお父さんでした。

そのお父さんの手にあったのは、新作エロゲ「陵辱!魔法少女ブリギュア 初回限定版」でした。




あなたは迷わず児童相談所に連絡しますよね?

俺はエロゲやったことありますが、それでも通報します。




二次元と現実は別、なんて話は

エロゲオタでも本音では信じられないものじゃありませんか?

まぁ、エロのお店でお買い物の際は、「他人のカゴの中身は詮索しない」のが最低限のマナーだと思うです。
そこは見て見ぬふりをするのが、エロゲーマー仁義ってもんだろう。


だいたい、お父さんは父子家庭で女っ気のない生活をしているんだから、エロゲぐらいは大目に見てやれよ!


二次元と現実は別じゃない、と増田は言いたいようですが、表現規制賛成派の人がエロゲーマーを装って書き込んでいるようにも思われます。もしガチだとしたら、では「俺はエロゲやったことありますが」と言った時点で自分は犯罪者予備軍だ、ということになるのに気づかないんでしょうか。それとも自分はいちゃいちゃラブラブ専門だから大丈夫、とかいう言い訳でも用意してあるんですかね。

「いちゃラブ」大全 完全保存版―デレデレな女の子を集大成!! (INFOREST MOOK)

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オレはなあ、そうやって逃げ道を用意しておいてから、偏見でものを言うヤツが大嫌いなんだよッ!


ちなみに、暴力的なポルノの影響を受けた(と自称する)テッド・バンディがサディズム殺人を犯した例もあるし、親の方針でいっさいの性的なものから遠ざけられ純潔教育を受けてきたウイリアム・ハイレンズが、歪んだ性欲を抱き、連続殺人事件を起こしたこともあります。

連続殺人紳士録

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(ちなみに、バンディは「暴力的なポルノの影響を受けた」と保守派キリスト教系団体のインタビューで語っていたが、家宅捜索では彼の自宅からポルノは一冊も見つかっていない)


ポルノが性犯罪を抑止しているのか助長しているのか、というのは実に難しい問題です。「ポルノがあったせいで起こった犯罪」が一件でもあれば規制派はそこを攻めてきますが、「ポルノがあったおかげで起こらなかった犯罪」の存在を証明することは不可能です。それに、「あったせい」の犯罪が、ポルノがなかったら起こらなかったのか、という仮定を立証することもまた不可能。視野を大きく取り、ポルノの流通量と性犯罪の件数を統計で調べてみても、せいぜい相関関係がみられるだけで、因果関係を証明することはできないでしょう。それに性犯罪には暗数が多く、単純にデータとして扱うには問題がありますし。


だから、表現規制反対派は、ポルノの抑止力について語るのは得策とはいえないんですよね。少なくとも、それで規制推進派を説得することは不可能でしょう。というか、ハナから相手を「認知障害者」だと決め付け「なんで反論している人のことまで考えなくてはならないのか」「説明や調査データを示す必要はない」とかいってしまうカテエ輩に、通じる話なんかありえませんからね。考えるべきは、ああいうゴキブリどもをいかにして公的な場から駆除すべきか、だと思うんですが、それもまた困難なところですね。

道徳的な書物とか不道徳な書物とかいうようなものは存在しない。


書物は巧みに書かれているか、拙く書かれているか、それだけである。
(オスカー・ワイルド『ドリアン・グレイの肖像』より)

ドリアン・グレイの肖像 (光文社古典新訳文庫)

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