転生回遊女

本日は、小池昌代先生を講師にお迎えして山形市で開かれた「小説家になろう講座」を受けてまいりました。

転生回遊女

転生回遊女

小説家としても詩人としても活動されている小池先生ですが、両者の書き方は異なります。詩を書いてから小説を書くと、どうしても表現がクドくなるので、まずは小説の世界に入るために体を作ることから始められるそうです。


この「体を作る」という表現が、すごく印象的でした。


これはおそらく、エッセイでもルポルタージュでもそうで、文章を書くためには、その内容に応じてスイッチを切り替える必要があるんだと思います。それを、「スイッチを切り替える」なんて生易しいものじゃなくて、「体を作る」と表現されるのは、さすがに一流プロは文章に対する意識の高さが違うなあと思わされました。


で、小池先生は短編小説をずっと書かれてきたのですが、小学館の「きらら」に連載された『転生回遊女』ではじめて長編を著されました。


この小説は、連載分に加筆の上で上梓されましたが、小池先生ご自身はまだ話に決着がついておらず、続きを書きたいと思っておられるそうです。


というより、人生というのは決着がついたり結論が出たりするものではないので、長編小説ではその「決着のつかなさ」、人生のぐにゃぐにゃした手触りを描きたい、と思われているそうなんですね。


この辺の感覚は、まずオチありきでないと文章を書けないぼくには思いもよらないものでした。

小池先生は、「読者というのはスケベなもので、著者が恥ずかしがるところを読みたがるもの」ともおっしゃっていました。


格好をつけたり気取ったりしても、読者はこちらの思ったような読み方ばかりはしてくれないんですね。これはネットで文章を書く人間も、肝に銘じておかなければいけないと思います。