クレイジー・ママ

本日は、仙台文学館ゼミナール「池上冬樹と書評を書く」を受講してまいりました。


http://www.lit.city.sendai.jp/event_seminor2008.html#ikegami


これは、仙台文学館でふた月にいちど開かれている公開講座で、毎回指定される課題図書を読んで、800字程度の書評を提出し、講師である評論家の池上冬樹先生に講評をいただくというもの。


今回の課題図書は、湊かなえの『告白』でした。

告白

告白


以下に、今回ぼくが提出した書評を挙げておきます。

 小説において、読者にカタルシスを与える方法は二通りある。
 一つは、主人公など読者が感情移入する人物が幸福になること。
 一つは、読者が嫌悪する人物を破滅させること。
 善意によっても、悪意によっても、人はカタルシスを得ることができるのである。
 湊かなえのデビュー作『告白』は、悪意によるカタルシスに満ちた作品だ。
 この小説は六つの章からなり、それぞれが違った人物の一人称で書かれている。第一章では、中学教師の森口悠子が「自分の娘はこのクラスの生徒に殺された」と、当の生徒たちに向かって告白するところからはじまる。そして、彼女は犯人に対して残酷な復讐をするのである。淡々としつつ粘っこいモノローグの語り口も効果的で、冷徹な悪意に戦慄する。
 第二章では視点が替わり、クラス委員長の美月がその後の出来事を語る。第三章、第四章、第五章では犯人たちとその家族の視点となり、衝撃的な事件のすべてが明らかになった第六章では、さらに衝撃的な結末が訪れる。
 この作品では、ほとんどの人物が悪意を原動力に行動している。
 怒り、復讐心、苛立ち、自己嫌悪、破壊衝動、そして殺意。
 特筆すべきなのは、これらの醜い感情によって行動する人物よりも、愛情や善意によって行動する人物の方がより醜く描かれていることである。
 息子を愛する母や、生徒を想う熱血教師の気持ち悪さをえぐるように描き、そして彼らを嫌悪し否定する人物たちにも容赦せず、その独善と傲慢さに、読者が嫌悪を抱かずにはおれないように描いている。
 徹頭徹尾、悪意に貫かれており、ぶれがない。徹底して人間を突き放し、そして破滅させる。ネガティブで醜い感情に親しんで生きてきた、私のようなタイプの人間にとって、この上なく痛快な小説である。

この書評の、「悪意より善意の方が醜く描かれている」という発想は、先生に「この着眼点での書評は初めて見ました」と誉めていただいたのでした。ぬふふ。


『告白』は、よく「後味が悪い」と評されていますけど、ぼくはすげえスカッとしたんですよ。


とにかく、出てくるやつがみんな気持ち悪いんですよね。中学生で母親のことを「ママ」って呼んでるやつなんて、確実にイジメの対象になるでしょう。自分のことを息子にそんなふうに呼ばせている母親なんて、正気じゃないと思いますね!

  • Rolling stones : Crazy Mama


ブラック・アンド・ブルー

ブラック・アンド・ブルー


そういう気持ち悪い人たちが次々に出てきては、死んだり死なせたり殺したり殺されたりするわけですから、これは痛快な小説だと思ったですよ、ええ。


今回の講座でも、「深みがない」「人物が類型的」と酷評する人が少なくなかったのですが、ぼくは好きですね、この本。


万人にオススメはできないかもしれませんが、うちのブログを楽しんで読んでくれるタイプの人ならば、この本は間違いなく楽しめると思います。