ハチミツとクローバーフィールド
クローバーフィールド/HAKAISHA (竹書房文庫 DR 206)
- 作者: ドリュー・ゴッダード,入間眞
- 出版社/メーカー: 竹書房
- 発売日: 2008/04/03
- メディア: 文庫
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※以下ネタバレ
この映画について語ってるブログとか見ると、みんなネタバレに配慮して書いてたんですよね。
なので、こりゃ相当なサプライズがあるだろうと思ってたんですよ。
それこそ、ラストでウルトラマンが出てきて怪獣をやっつけるぐらいのことは覚悟していったんですけど。
結局、何もないままで終わっちゃったんですよね。
主人公は、兄貴や友だちを亡くしながら恋人を助け出しますが、最後には爆撃に遭って二人とも死んじゃうわけで、これで終わりかよ感バリバリでした。
手持ちカメラのぶれまくる映像とか、怪獣の全貌がなかなか出てこない演出とか、そういう怪獣映画としてのリアリティを出す手法はまぁ楽しめたんですが。
字幕にちょっと違和感がありました。
怪獣のことを、字幕では「あれ」とか「バケモノ」と呼んでるんですが、あんな巨大な怪物を見たら、ふつうの人は「怪獣」と表現するでしょう。日本語の常識ですよ。
ありきたりな怪獣映画にしたくなかった、という意図があるんでしょうけど、それは演出でちゃんと出来てるんだから、字幕でジャマしないでほしかったですね。
と思ってたら、エンディングで「字幕:戸田奈津子」と出て「あー…」とげんなり。
劇中では、被災者がハンディカメラで撮影した映像という体裁のため、音楽がぜんぜんついてなかったんですが、エンディングでは明らかに伊福部昭オマージュな曲を持ってくるので、あれが「怪獣映画」だということはわかると思うんですけどねぇ。
ただし、怪獣映画としては「怪獣の造形に魅力が乏しい」という致命的な欠点がありました。そこはもうちょっと考慮してほしかったなぁ。
テーマについてもうちょっと踏み込んでみます。
この映画といえば、911テロの恐怖を再現しているというのは誰もがわかることだと思うんですけど。
映画の前半は、主人公のどうでもいい痴話喧嘩とホームパーティに終始していて、早く怪獣出せよと思うこと請け合いです。
そこから、いきなり攻撃がはじまり、シームレスで大混乱に突入していくわけですが。
現実の911でも、被害者はみんな個人の生活の中にいきなりあの混乱が飛び込んできているわけで、徹底して一個人の視点から描いているこの映画の手法は、被害者ひとりひとりにそれぞれのドラマがあるという、当たり前のことを忘れないようにしてるんじゃないですかね。
被害者でなくても、あのテロ映像を見た人には、それぞれに見たときの思い出があると思います。
ぼくの場合はですね、あの日は、当時親しくしていた女性のところに行ってまして。
彼女の部屋で、飯も食わずにゲームに熱中していたところ(ゲームったっていろいろあって、コンピューターゲームばっかりじゃないですからね)弟から「お前どこ行ってんだよ!ニューヨークえらい事になってんぞ!」とメールが来てはじめてテレビをつけ、あの映像を目にしたんですね。
これから世界はどうなっちゃうんだろう、と二人して不安になりながら、そんなことを考えててもしょうがないのでとりあえずまたゲームを再開したもんでした。
その後すぐ振られちゃったんですけど、そんなことがあったもんでぼくは、911テロの映像を見るたびに、あの子のFカップのことを思い出してしまうという厄介な条件反射を抱えることになってしまったのでした。
(なんだこのオチ)