おそうじオバチャン

昨日のエントリに関連して。


プロレスラーが起こした不祥事というのはけっこう多く、2003年に剛竜馬がひったくりの容疑で逮捕されたことや、2006年に高木功大麻不法所持で逮捕されたのは記憶に新しいところです。


また、こちらは被害者でしたが、2003年に、棚橋弘至が交際していた女性にナイフで刺され、重傷を負ったのもご記憶の方が多いでしょう。


さてここで、日本プロレス史を紐解きますと。

昭和30年新春のこと。


木村政彦率いる国際プロレス団(昭和42年に吉原功が旗揚げした国際プロレスとは無関係)が、前年に力道山に敗れた木村先生(ぼくの先生の先生なので、呼び捨てにはできません)のカムバック試合として興行を開催しました。


選手陣の手薄さを補うため、木村先生は新兵器「猫手チョップ」(指を内側に曲げた、平手と拳の中間で打つチョップ)を武器に闘い、それなりの好評を得て、余勢をかって地方巡業に出ようとしたのですが、その矢先の1月10日、外人組のエースであった「ネブラスカの野牛」ゴージャス・マック(こと本名モンゴメリー・マクファーランド)が、宿泊していた帝国ホテルの客室に宝石商を呼びつけてそのまま監禁し、(当時の金で)45万円相当の宝石を強奪するという事件を起こし、強盗で逮捕されるという前代未聞の不祥事をやらかします。



これで国際プロレスは解散となり、木村先生はプロレスを廃業、拓殖大学で柔道の指導にあたるのでした。


余談ですが。

国際プロレスには清美川という元力士のレスラーも参加していたのですが、昭和32年には、彼の息子が変質者に殺害され、遺体をバラバラにしてホルマリン漬けにされるという事件の被害者にもなっており、つくづく業の深い団体だったのだなぁと思わされます。

http://gonta13.at.infoseek.co.jp/newpage197.htm



続きまして、昭和46年のこと。



当時、日本プロレスでは猪木派と馬場派がことあるごとに衝突しており、レスラーも背広組も険悪なムードになっていました。


そんな状態だから外人組もたるんでおり、山陰方面を巡業しているとき、若手レスラーのフランキー・レイン(『ローハイド』で有名な歌手とは同姓同名の別人)が、朝の七時に婦女暴行事件を起こして逮捕されました。


日本プロレスコミッションの事務局長であった門茂男氏は、署長からこう絞られたそうです。

朝早く散歩に出たレインは、旅行に出る子どもを駅まで送って帰る途中(自転車で)の女性を襲って”突っ込み”(強姦)やがった。届出でホテルで食事をしていた我が署の刑事が逮捕した。”自転車をこぐ女性の尻の振り方が、たまらなくセクシーだったので、ツイ”と彼はいっているが、被害者は60歳近いばあさんだぜ……レインのようなアニマルみたいなレスラーは、二度と日本に来れないようにしてください!

レインは逮捕されていた署から東京に連れ戻され、その日の深夜便で”退去処分”になり、二度と来日しませんでした。

↑これがフランキー・レイン。なかなかの二枚目でしたが、中身は野獣だったんですね。ちなみに隣の女性はオノ・ヨーコではありません。


そういえば、日本にも野獣と呼ばれたレスラーがいましたが(以下略