The Good, the Bad and the Ugly

ジャイアント台風』は、1968年から1973年まで「少年キング」に連載された、ジャイアント馬場を主人公とする、セミ・ノンフィクションのプロレス漫画です。
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作画が辻なおきによるクラシックな絵柄なことや、対象年齢がやや低めなこともあって内容はあくまで明朗で、プロレス界の理不尽さやレスラーの苦悩はあまり描かれず、子どもに夢を与えるような温かさに満ちています。


物語は、人気絶頂の馬場が苦しかった過去を回想する形式で始まります。



昭和35年



脳腫瘍*1による視力障害で巨人軍をクビになり、大洋ホエールズの入団テストを受けるものの風呂場で滑って右腕を傷め、プロ野球界を去った馬場。


失意のどん底にあった馬場ですが、テレビで激闘を繰り広げる力道山の姿に勇気づけられ、日本プロレスに入門します。

有名な”両手足にバーベルをくくりつけて蜂の巣を投げつける”という入門の儀式(もちろん実際にはこんなものはない)を耐え抜いた馬場は、その後も順調にキャリアを積み、一年後にはアメリカへ武者修行の旅に出ました。


梶原一騎作品では、日本人がアメリカで武者修行をやると必ず「キル・ザ・ジャップ!」と罵声を浴びせられ、やられ役を強制されるのですが、この作品はそのパターンの元祖といってよく、ロサンゼルスやニューヨークを転戦するたびに馬場は観客に罵られ、時にはナイフで襲われたりもします。


ニューヨークに行ったときなどは、プロモーターのマクマホン(今のビンス・マクマホンのお父さん)が、子飼いのブルーノ・サンマルチノを売り出すためのやられ役として呼ばれたのに時間切れ引き分けの熱戦を演じ、このためマクマホンに憎まれ、筋金入りの悪役ばかりをぶつけられ、連日連夜、反則で痛めつけられる羽目に。


そんなある日、マクマホンのオフィスに呼ばれた馬場は、そこで力道山と再会します。

リキ「マクマホン氏にはおまえが世話になった例をよくいっておいたぞ」

馬場「ええっ? す、するとあのマクマホン氏はいい人なんですか?」

リキ「人間を、いい人・悪い人と自分のつごうで区別したがるのはよくないことだぞ。馬場よ…」

ぐっとくるセリフですね。


その後も、テクニックに長けたアーノルド・スコーランに苦戦したときには「巨体と力にたよるな! そもそもお前は巨人だという意識が強すぎるのだ、自分が小男だと思え!」と、猛牛と戦わせてみたり、マンホールの穴の上で馬場にブリッジをさせ、その上で飛び跳ねたりと猛特訓を課して力道山は帰国していき、馬場はデスマッチの本場テキサスへ転戦します。


テキサスに着いた馬場は、西部劇そのままの街でとりあえず酒場に入るのですが、そこには鉄の爪フリッツ・フォン・エリックとその子分たちが待ち構えており、馬場は3対1でリンチされます。

逃れようとしたときに地元の素人を誤って突き飛ばしてしまい、暴徒と化した群集にも追われ、絶体絶命になった馬場。


このシチュエーションも、『空手バカ一代』や『新カラテ地獄変』などで繰り返される梶原一騎お得意のネタなんですが、ここから脱出する馬場の機転はスゴイです。



逃げ込んだホテルの部屋の窓から、暴徒たちの後ろで高みの見物を決め込んでいるエリックに「この場でおれと勝負しろ! 1対1ではジャイアント馬場が怖いか!?」と挑発する馬場。

しかし、エリックは「誇り高きゲルマン民族のオレが、うすぎたない黄色の人種と肌をこすりあうなどまっぴらだぜ」と人種差別発言で切り返します。


これに対する馬場の反撃がもうスゴ過ぎて。

エリック!

わが母国日本は第二次大戦できみの国ドイツと同盟を結んだが、

さっさと先に連合軍に降伏してしまい…
日本に大迷惑をかけたのは…


きみの国ドイツだったぞ!


いやぁ、これは恐ろしすぎて現代ではちょっと書けませんね。



エリックは、当時「ベルリン出身のドイツ人」というギミックでしたが、それから15年ほど経って描かれた『プロレススーパースター列伝』では、「おれもアメリカ生まれのドイツ系なのに、昔はヒトラーの親衛隊でアメリカに復讐に来たとホラを吹いたもんだ」と言うようになっていました。

60年代と80年代では、プロレスの見方も変わっていたんですね。

私、プロレスの味方です (新風舎文庫)

私、プロレスの味方です (新風舎文庫)


実際には、エリックの父母はドイツ系のユダヤ人だったんですけどね。

*1:チェ・ホンマンと同じ、巨人症の原因になったものと思われる