プロレス都市伝説

プロレスファンの間で語り継がれている伝説に、「東スポ・ブラッシー伝説」というのがあります。

フレッド・ブラッシー - Wikipedia
wikipediaの「フレッド・ブラッシー」の項にもありますが、

ケネディ大統領が暗殺されたときも、東スポの一面は『ブラッシー血だるま』だった

というもの。



この話はけっこうよく知られており、徳光康之先生の「最狂超プロレスファン烈伝」でも、主人公の鬼藪宙道(きやぶちゅうどう、前田日明ファン)が東スポファンと口論したときに、

オレが生まれる前の話でくわしくは知らんが、
ケネディ暗殺のときも東スポの一面は『ブラッシー血だるま』だったそうじゃないか

と言っておりました。

でもこれ、よく考えるとちょっとおかしいんですよね。



まず、ブラッシーは得意の噛み付き攻撃で相手を血だるまにする方のレスラーなので、ブラッシーが血だるまになるというのはちょっと不自然です。


それに、記録を調べてみるとケネディが暗殺された1963年にはブラッシーは来日しておらず、一面の見出しになるとは考えられません。



実際には、ジョン・F・ケネディ暗殺当日の東スポ一面は

力道不覚!空手打ちも不発


であり(おそらく、当時のライバルであったザ・デストロイヤーとの試合と思われる)、ブラッシーは影も形もなかったそうです。



この説がどこから来たのかというと、おそらくこの本でしょう。

私、プロレスの味方です (新風舎文庫)

私、プロレスの味方です (新風舎文庫)

1980年に刊行され、その後のサブカル巻きプロレス論壇を形作った名著、村松友視の「私、プロレスの味方です」。


村松氏は、1960年代の東スポとプロレスの蜜月ぶりについて、

中印武力衝突が起ころうが、中ソ対立が激化しようが、ケネディキューバ封鎖が強行されようが、「東京スポーツ」の第一面には、赤や緑色に白くぬいた大文字の「銀髪鬼場外に悶絶!」が目立ち、ケバケバしくも鮮烈に駅の売店を飾る。

と書いておられました。「銀髪鬼」というのはいうまでもなくブラッシーの異名です。


ここから「ケネディ」「銀髪鬼」が(おそらくはビートたけしによって)ピックアップされ、前述した東スポ伝説が生まれたものと思われます。


ビートたけしには、同様に

ロッキード事件田中角栄が逮捕されたときも、東スポの一面は『猪木血だるま』だった

というネタもありますが、こちらはさすがに事件の年代が新しいのであまり信じられていないようです。


角栄が逮捕された1976年7月27日の、翌日の東スポ一面見出しがなんだったのかまではさすがに調べられませんでした。



村松氏は、同書において、1980年当時の東スポ一面について

最近では、第一面をプロレス記事が飾ることはほとんどなく、現在の「東スポ」の第一面は、巨人軍、競馬、ボクシングの世界選手権に乗っ取られた感じである。

とも書いておられましたが、現在のようなネタ見出しの百花繚乱はさすがに予想できなかったようですね。

http://www.tokyo-sports.co.jp/1menrenew.htm
(↑早いとこ、もっと見れるようにしてくれい)

個人的には、(一面ではないが)
ナイナイ岡村巨根説にイメクラ嬢大反論」
というのが出たときには心の底から脱帽したものでした。これこそが報道というものです(絶対に違う)。