仁義なき探偵・代理原稿
本日は「蝶々殺人事件」をご紹介します。
蝶々殺人事件 (角川文庫 緑 304-9)
世界的ソプラノ歌手、原さくらが「蝶々夫人」の上演のために大阪を訪れた。
楽団員より一日早く大阪入りしていたはずの彼女だが、なぜか滞在先のホテルから失踪。
マネジャーが右往左往する中、楽団員たちが荷物とともに到着。
そして、そのコントラバスケースの中からさくらは死体となって現れた…!
東京と大阪を行き来するコントラバスケース。
殺害される直前の、さくらの謎めいた行動。
殺害場所はどこか?さくらの抱えていた秘密とは?
名探偵・由利麟太郎は、マネジャー土屋恭三の手記をもとに難事件に挑む。
この作品は、昭和21年に、おととい取り上げた「本陣殺人事件」と並行して雑誌に連載されました。
「本陣」とは対照的な、都会的でシャープな作風。
当時珍しかった本格推理小説を、二つ同時に書き上げたという正史の創作意欲には脱帽しますが、それにはいくつかの理由がありました。
一つには、戦時中の探偵小説弾圧。
戦時中は、探偵小説は「退廃芸術」として検閲・削除を命じられ、やがて完全に創作を弾圧されることになります。
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しかし、戦況の逼迫によってこれらの作品も発表媒体を失い、正史は岡山に疎開しての隠遁生活を余儀なくされます。
山奥で馴れない農作業に従事し、ろくに小説も読めない生活。その探偵小説への渇望は、おそるべきエネルギーへと転換されていったのでしょう。
やがて終戦。玉音放送を聴いたその日、正史は「さあ、これからだ!」とひとり呟いたといいます。
そして、いくつかの短編を経て「本陣」「蝶々」のダブル連載へとこぎつけるのでした。
とはいえ、出版事情もよくなかった時代、ダブル長編連載というのはよくよくの事情がなくてはできないこと。
そこには、小栗虫太郎との奇妙な縁がありました。
戦前の昭和8年、横溝正史は編集者兼任から作家専業になりますが、その矢先に肺結核で倒れてしまいます。
そのため「新青年」に空白が出来てしまい、その穴埋めとして掲載されたのが虫太郎の出世作「完全犯罪」でした。
怪奇探偵小説名作選〈6〉小栗虫太郎集―完全犯罪 (ちくま文庫)
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そして昭和21年。
小栗虫太郎は、雑誌「ロック」に「悪霊」を連載しますが、その途中でメチル過により急死してしまいます。
そのため生じた空白を埋めるべく、因縁のあった正史がそのオファーを受けることになったのでした。
今の漫画界などでも、若手のデビューは「代原」と相場が決まっていますが、昔の探偵文壇でもそれは同じだったようですね。