かっこいいスキヤキ

ある筋からのリクエストにお応えして、大藪春彦グルメシリーズの新作をお届けします。


戦士の挽歌(バラード) (第2部) (徳間文庫)

戦士の挽歌(バラード) (第2部) (徳間文庫)

今回のテキストは『戦士の挽歌』。製薬会社の営業MR(当時は「プロパー」と呼ばれた)石川克也が、医者にワイロを贈ったり女を世話したりして、ひたすら媚びへつらい取り入るというお話。「長編アクション小説」と銘打たれていますが、上中下の三分冊(現行版は上下の二分冊に変わっている)のうち、石川がその戦闘能力を発揮するのは三冊目の最後の数十ページだけなので、ここで紹介する第二部は、最初から最後まで主人公がド畜生な医者に土下座して媚びへつらうという、ものすごくストレスのたまる本です。なんで大藪さんの本を読んでこんなにイヤな気持ちにならなきゃいかんのだ。


出てくる医者がもうとにかく横暴で傲慢で欲張りで低俗な人間ばっかりで、金持ちのくせに一族郎党の食事代(しかも自分ちの敷地内にある店でだよ)を石川にたかったり、ヨーロッパ旅行では石川にポン引きをやらせて一晩に三人ずつのブロンド女を買ったりするのね。あと物凄く主人公をバカにするの。酔っ払って介抱されてるのに「プロパー風情が教授先生様に触るな!」とか、「親友が事故死したんです」と言う石川に「プロパーごときに親友がいたなんて信じられん話だ」と言い放ったりとか。こんなやついねえだろと思ってしまうのですが、まぁ大藪春彦作品の悪役はたいていそういう人なので仕方ないですね。


主人公の石川は、銃と車とハンティングの達人であり、マッチョなイケメンです。大藪春彦作品の主人公はたいていみんなそうですけど。んで、あちこちの女医やナース、あとホモの医者をその肉体でもって愛人にしています。もちろん食い物もワイルドで、愛人の女医に作ってもらった「肉食人種にはたまらぬ芳香を放つ」キドニーパイと「サワー・クリームとベーコン・クリスプを掛けたベークド・ポテト」をガツガツと平らげたかと思うと、自宅では「賽の目に切ったボロニア・ソーセージとミジン切りにした青ネギをたっぷりぶちこんだインスタント・ラーメン」を食べたりします。ラーメンにまでボロニア・ソーセージを入れずにいられない大藪さんの執着が怖い。

紅豚あぐー ボロニアソーセージ

紅豚あぐー ボロニアソーセージ

そうかと思えば、大衆食堂で「豆腐とシジミと大根の味噌汁をそれぞれ一杯ずつとバターとタラコをまぶしてショーユを垂らしたドンブリ飯」を掻きこんだりします。味噌汁三杯って絶対おかしいよ。


他には例によって、六百グラムのTボーン・ステーキとマッシュ・ポテトを食った翌朝に卵四個のスクランブルエッグの朝食を取ったり、半リッターのトマトジュースと卵四個分のフライド・エッグス(たっぷりしたコーン・オイルで揚げたもの)とライ麦パンの朝食を取るなど、大量の動物性蛋白質を摂取しまくるのですが、今日のメインは、石川の愛人のひとりである、ナースの美樹が自宅に乗り込んできて作ったすき焼きです。

 石川はガス・コンロをテーブルに乗せた。南部鉄の鉄鍋をコンロに掛ける。美樹は二つの大きなザルに、スキ焼きの材料を並べ、日本酒の栓を抜き、二本の二合入り徳利に八分目ぐらい注いで、電子レンジに入れる。
 石川は熱した鉄鍋にサラダ油を敷き、牛脂を押しつけながら溶かした。美樹は電子レンジで燗をつけた二本の徳利をテーブルに移し、石川と自分の大きな盃に注いだ。
 石川は辛口の熱燗を飲みながらスキ焼きを作った。関西式のやり方で、割り下は使わない。
 鉄鍋の一番下に牛肉を敷き、次いで煮えにくい大根を加え、さまざまな野菜やキノコ類や白タキや焼きドーフなどを乗せ、大量の砂糖を加えた。春菊は苦味が出るのでまだ入れない。日本酒を二合ほどブチこみ、それが煮たってきたところでショーユを流し込む。
 美樹は急激に酔った。二人は卵を溶いた小ドンブリにひたしてスキ焼きをむさぼり食う。石川は鍋にさらに肉を加えた。


んで翌朝、美樹が帰ってから石川が目覚めると、

 ジャーには美樹が朝沸かした湯が入っていた。シャワーを浴びて美樹の匂いを洗い落とした石川は、パック入りのインスタント・ライスを二袋、電子レンジで加熱した。
 昨夜のスキ焼きの残りは大ドンブリに移されて冷蔵庫に入っていた。石川はジャンボ中華ドンブリにライスを入れ、それにスキ焼きの残りをブッ掛けて食った。汁をよく吸った冷たい大根が特にうまい。


……大根?


すき焼きに大根って、ふつうは入れませんよね?


ちょっと前に、三池崇史監督の『スキヤキウエスタン・ジャンゴ』でクエンティン・タランティーノが「すき焼きの甘味は白菜から出せ」という場面があり、これを映画秘宝の「日本映画縛り首」コーナーで「すき焼きに白菜は入れねーだろ」と批判したところ、読者の間でちょっとした「入れる入れない」論争になったことがありました。

バッド・ムービー・アミーゴスの日本映画最終戦争!<邦画バブル死闘編>2007-2008年版 (映画秘宝COLLECTION 38)

バッド・ムービー・アミーゴスの日本映画最終戦争!<邦画バブル死闘編>2007-2008年版 (映画秘宝COLLECTION 38)

これが、映画秘宝恒例の「はくさい映画賞」の語源となっています。


ぼく個人的には、うちの母が作るすき焼きは白菜が主で豚肉がちょっぴり入るぐらいなので、自分で作るときは牛肉とねぎと焼き豆腐だけにしています。
すき焼き用の薄切り肉を煮て作るより、焼肉用のカルビを焼いて割下を入れ、ミディアムのところを食べるほうがうまいですね。

今半 すき焼割下 木樽醤油仕込 360ml

今半 すき焼割下 木樽醤油仕込 360ml



でも大根は入れたことないし、入れようと思ったこともないなぁ。


気になって調べてみたら、香川県ではよくすき焼きに大根を入れるようです。去年には「秘密のケンミンSHOW」でも取り上げられているとのこと。



大藪春彦は、終戦後に11歳で朝鮮半島より引き揚げてきてから、21歳で早稲田大学に進学するまで、香川県で少年時代を過ごしています。

大藪春彦伝説―遙かなる野獣の挽歌(バラード)

大藪春彦伝説―遙かなる野獣の挽歌(バラード)

でも大藪ヒーローは肉ばかり食べてあまり炭水化物を取らないので、うどんを食べる場面はほとんど見られません。たしか『アスファルトの虎』に出てくるぐらいです。ラーメンはよく食べるんですけどね。


郷土の喪失と欧米への憧れが強く出ていた大藪春彦作品ですが、育った土地のことも無意識に出てしまっていたのですね。