アッパー系オヤジと草食系男子の供宴『冷たい熱帯魚』

さてさて、東京から半年ほど遅れてようやく仙台でも公開された『冷たい熱帯魚』です。

冷たい熱帯魚 [DVD]

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小さな熱帯魚店を営む社本(吹越満)は、死別した前妻の娘(梶原ひかり)と折り合いの悪い後妻(神楽坂恵)と生活していますが、家族の問題に向き合おうとせずただ波風を立てないようにする社本のせいで、家庭は冷え切って崩壊寸前。妻が冷凍食品ばかりの味気ない食事を用意しても、食事中に娘が彼氏の誘いを受けて勝手に外出しても、何も言おうとしません。この寒々しい家庭の風景で、まず映画にグッと引き付けられます。神楽坂恵はグラビアアイドル時代からどこか所帯じみた雰囲気のある人でしたが(スタイルはゴージャスなのに、和風の顔立ちと昭和くさい髪型のせいでボンデージが死ぬほど似合わなかったのを覚えている)このシークエンスではしじゅう不機嫌で陰気な表情を見せており、肉感的なボディからは「欲求不満」のオーラがビンビンに出ていて、オープニングだけですでに圧倒されてしまいました。
月刊神楽坂恵―炎暑 (SHINCHO MOOK 137)

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そして、娘がスーパーで万引きをして捕まったことで社本家はさらなる窮地に立たされますが、店長の友人で大型熱帯魚店を営む村田(でんでん)の仲介により救われます。人の良さそうな村田とその妻(黒沢あすか)と、社本は家族ぐるみで付き合うようになり、娘は村田の店でバイトとして雇われます。しかしそれは、社本を自分の裏のビジネスに絡めとろうとする村田の策略だった……というお話はまぁみなさんご存知かと思います。村田の店ではワケありの少女たちばかりを雇い入れて(なぜかフーターズみたいな制服)寮生活をさせ、礼儀作法など厳しく指導しているというから、そのアッパー系ぐあいも含めて全女の松永高志会長(2009年没)を彷彿とさせるものがなくもないというか。焼きそばは作らないけど。
1993年の女子プロレス

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二時間半にわたるこの映画ですが、その四分の三ぐらいまで、吹越満のセリフは「はい」ばかり。愛犬家連続殺人事件をモチーフにした村田の殺人ビジネスを手伝わされても、ただひたすら唯々諾々と従います。いちおう、妻や娘が人質同然になっているというエクスキューズはあるものの、その気になればいつでも逃げられそうなのに、でんでんのペースにすっかり圧倒されて身動きがとれなくなっています。でんでんや相棒の渡辺哲(筒井高康という冗談みたいな役名)といったアッパー系オヤジたちの毒気に当てられ、草食系男子(趣味はプラネタリウム観賞)の吹越満はただ引きずられるだけのロボットと化してしまいます。吹越満がかつてWAHAHA本舗時代に「ロボコップ演芸」を得意としていたのを思い起こさせます。



社本はとにかく主体性のない男として描かれており、自分からは何も行動を起こそうとしません。それに対し、村田や筒井らアッパー系オヤジたちは主体性の塊のような存在です。根本敬画伯の漫画のような人物設定です。漫画ではひどい目にあう方の人(丸メガネのおっさん)が「村田」という名前ですけどね。

生きる 増強版

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でんでん夫婦が被害者(諏訪太朗!)のボディを透明にしていく手順は実にリアルで、遺骨を焼却するときの臭気をごまかすために醤油をかけて焼くというディテールまで、モデルになった事件に忠実です。家庭に問題のある少女を何人も雇い入れていたのも、実は事実に即しています。

愛犬家連続殺人 (角川文庫)

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ただし、映画独自の要素もあって、ボディを透明にする現場となる山小屋は、村田の父が宗教に狂って作った家で、キリストの磔刑像や聖母マリア像がそこら中に飾られた異様な建物になっています。園子温監督お得意のキリスト教モチーフですが、罪と冒涜の果てに聖性を希求するという態度は前作『愛のむきだし』とも共通するものであり、ここ数日ツイッター上を騒がせていたこの話題とも通じるものがあります。


「東浩紀は性犯罪者、死ぬべき!」と絶叫する人達 - Togetter
東浩紀が、コミックLOに掲載された漫画(青年ふたりが少女レイプ行脚の旅の末に手をつないで死ぬ)を優れた作品だと賞賛したところ、反ポルノの方々が激昂したというこの話題。フィクションで悪の行為を描くことを、悪を賞賛することだと勘違いする人は(特にポルノの分野では)少なくありませんが、吐き気をもよおすほどの悪を描くことによってしか表現できない感動もあるし、芸術の良し悪しは道徳的な善悪に縛られるものでもありません。



まぁロリコン漫画のことはともかく、『冷たい熱帯魚』に話を戻します。


※以下ネタバレ























主体性を持たないままに村田の犯罪を手伝わされてきた社本ですが、裏切った筒井のボディを透明にした後に村田のハイパーアクティヴな説教を受けたことで自我が解体され、ついに自分の意思を持って行動を起こします。村田は、社本を完全に自分の支配化に置こうとして妻を抱かせるのですが、逆に、「女を抱く」という行為の主体となることによって社本はついに村田の支配下から逃れ、ボールペン一本を武器にして村田夫婦に逆襲するのです。まさにペンは剣より強しです。
こんなふうに何でも実存主義で解釈してしまうのはサブカル中年の悪い癖かもしれませんが、ここで得られるカタルシスは凄いものがありました。


そりゃねえ、家に帰れば神楽坂恵が爆乳をぷるんぷるんさせて待ってるのに、くたびれた黒沢あすかを「抱かせてやる」とか恩着せがましく言われたって、ありがたくも何ともないよねえ。


こうして主体性を手にした社本は、これまで自我を圧殺してかろうじて守っていた家庭も破壊にかかります。娘をひっぱたいて自宅に連れ帰り、彼氏と遊びに行こうとする娘を彼氏もろとも殴り倒し、娘の目の前で妻を犯すのです。その暴力はもちろん賞賛されるべきものではありませんが、破滅のもたらすカタルシスというものは確実に存在しています。主人公がデスペレートな行動に出た末の破滅を描くフィクションは数多く存在しており、この『冷たい熱帯魚』もその最高レベルに属する作品といっていいでしょう。


とにかく、傑作でありました。待った甲斐があったというものです。ラストシーンはちょっと蛇足の感がなくもありませんでしたが、神楽坂恵のおっぱいを眺めるだけでも料金分以上は楽しめること請け合いでございます。