Need Your Love So Bad

モテなくても人生は愉(たの)しい

モテなくても人生は愉(たの)しい

森永卓郎さんがこんなことを言ってます。


http://careerzine.jp/article/detail/1098

 これはすべてのエンジニアやIT業界で働く方に当てはまるわけでなく、いわゆる「オタク」の方に見られる傾向なのですが、彼らにとって電脳空間とはお花畑のような場所。たまらく居心地がいいわけです。


 以前、私はオタクの方に向けて「現実世界で恋をしなさい」とアドバイスしたのですが、これに対して多くの反論が寄せられました。彼らの言い分は「現実世界の女性は泣くはわめくは、気まぐれですぐに裏切るし、手に負えない。それに比べて二次元の女性は可愛らしく、これほど素晴らしい存在はない」というわけです。確かに彼らがハマる恋愛シミュレーションゲームに登場する女性は、そういった点で理想なのかもしれません。


 ところがこれを、クリエイターの視点で見ると、どうでしょうか。仮に作り手側が電脳空間の住人だと、こういったゲームは作れないはずです。現実に恋愛し、そういった経験があるからこそ、ゲームという形に昇華できるわけです。電脳空間のなかで恋愛ゲームが上手くなっても新しい物は作れません。

こういうことを言うとすぐ反発するお歴々が、ネットにはいっぱいいます。


http://blog.livedoor.jp/dqnplus/archives/1474372.html
でもこれ、森永さんの発言の中から恋愛ゲームに関する一部だけを切り取って反応しているのであって、全体を読めば「技術だけでなくセンスを磨かないと、付加価値のある仕事はできない」という、経済評論家らしい意見だと思いますけどねぇ。


アニメや漫画の萌えキャラが奇形的だとよく言われるのは、それが先行するアニメや漫画をお手本にしてデフォルメしたもので、現実の人間から大きく遊離したものになってるからなんですが、萌えファンは「だがそれがいい!」と思っているわけで。この辺は現代日本サブカル文化における深い断絶ですね。


んで。


創作には必ずしも現実の経験が必要だとは限りませんが、こと恋愛がテーマとなると、そうは考えられなくなるのが人情というものです。


たとえば、人を殺したことがないから推理小説は書けない、とはぼくも考えません。

推理小説作法―あなたもきっと書きたくなる (光文社文庫)

推理小説作法―あなたもきっと書きたくなる (光文社文庫)

でも、彼女いない暦35年の(こないだ誕生日を迎えました)ぼくのような人間には、恋愛小説はとても書けそうにないと感じます。
恋愛小説

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この辺の感覚がどうして生じるのか、以前、小説家講座の講師にいらした、村山由佳先生にお聞きしたことがありました。
おいしいコーヒーのいれ方 Second Season I 蜂蜜色の瞳 (集英社文庫)

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そのとき、先生はこうおっしゃっていたものです。

推理小説の読者で人を殺したことのある人ってあんまりいませんけど、恋愛は読者の多くが経験していることであって、共感を求めて読むものですから、推理小説やSFとは違いますよね。


でも、一度でも本気で恋したことのある人なら、そこから無数の恋愛小説が書けると思います。

ということです。なにもリア充だのイケメンだのでなくとも、心から人を好きになることが一度できれば、経験はそれで十分だということですね。


ま、オレには一生ムリってことなんですけど。