キンシャサの奇跡

昨日のエントリで「590人分の子ども手当を申請にきたアジア系外国人」のデマを取り上げましたが、どうやらこれにはバリエーションがあったようで。


ザイール大使館員付き添い付きで子ども手当請求きたRT - Togetter
すごいなぁ。都市伝説が広まっていくのをリアルタイムで記録できる、というのはtwitterが登場したことの大きな利点ですね。


最初は、

ザイール大使館員の付き添いのもと、ザイール政府発行の正式証明書を持ったザイール人10人位で子供の合計200人以上登録していったそうだ。


だったのが、いつの間にか

在日ザイール人が一人で200人分の子供手当てを申請してきたらしい。

に変わっているのがイイ味ですね。そのうちどんどん尾鰭がついて「ザイール人は100mを5秒で走る」「『ポマード』と叫ぶと逃げる」「正体は山本陽子だ」とか言われ始めるんでしょうか。

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それにしても、元のtwitterでもツッコまれていますが、ザイールなんて国はもう無いんですけどね。
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コンゴ民主共和国の歴史

  • 1885年:ベルギー王レオポルドII世の私有地としてコンゴ自由国」と称される。ゴムの収穫が少ない住民は手足を切り落とされる、という苛烈きわまる圧制であった
  • 1908年:国際社会の激しい非難を浴び、ベルギー政府の管轄に移り「ベルギー領コンゴと称される
  • 1960年:ベルギーから独立し、コンゴ共和国*1となる。ベルギーは地下資源の豊富なカタンガ州を分離独立させようと工作し、国連軍も介入したコンゴ動乱が発生
  • 1965年:クーデターによりモブツ大統領が政権を掌握。以後1997年まで独裁制を敷く
  • 1967年:国名をコンゴ民主共和国と改称
  • 1971年:国名を「ザイール共和国」に、首都を「レオポルドヴィル」から「キンシャサ」に改称
  • 1974年:首都キンシャサにおいてモハメド・アリジョージ・フォアマンを降し、世界王座に返り咲く。いわゆる「キンシャサの奇跡」
  • 1997年:コンゴ・ザイール解放民主勢力連合(AFDL)がキンシャサを制圧し、モブツ独裁政権が崩壊。AFDLのローラン・カビラ議長が大統領に就任し、国名をコンゴ民主共和国に戻す
  • 1998年:第二次コンゴ戦争が勃発
  • 2001年:カビラ大統領が暗殺される。息子のジョゼフ・カビラが大統領に就任
  • 2003年:政府と反政府勢力との対話により、暫定政権が樹立
  • 2005年:国民投票により新憲法が成立
  • 2006年:大統領選挙により、ジョゼフ・カビラが大統領に就任

ネタにするんなら、少しはググるなりなんなりしてからにしないと。みんな勝手なイメージで語ってるんでしょうけど、せめてコンゴがアフリカのどこにあるのかぐらいは、みんな把握してるかなぁ。


ちなみに。

地獄の黙示録 特別完全版 [DVD]

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フランシス・フォード・コッポラ監督の映画『地獄の黙示録』はベトナム戦争を舞台にしていますが、原作となったジョゼフ・コンラッドの『闇の奥』は、レオポルドII世の支配下にあった時代のコンゴが舞台となっています。
闇の奥 (光文社古典新訳文庫)

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カーツ大佐が配下の子どもたちをみな養子にして、子ども手当を申請しに来るのを想像するとなんだかウキウキしてきます。マーロン・ブランドはもう亡くなってますけどね。

*1:現在の隣国「コンゴ共和国」とは別