痴漢は死ね

石田純一の「不倫は文化」発言というものがある。


これは、実際に石田が「不倫は文化だ」と言ったわけではない。1996年、当時は松原千明と結婚していた石田が、年下のモデル長谷川理恵と交際しているとして芸能リポーターの取材を受けたときの発言が、文脈を無視した要約によって広まったものだ。


ゴルフをしていた石田のもとに取材陣が押しかけ、ある女性リポーターが「奥さんがいるのにほかの女性を好きになるのは、許されないことですよね」と石田に自己批判を求めるかのような言葉を投げかける。これに対し、それまでのらりくらりと答えていた石田がカチンときた様子でそちらを向き「許されないことなんですか? 忍ぶ恋から生まれる文化や芸術だってあるでしょう」と言い返した。
(正確な言い回しは覚えていないが、こんな内容だった)


この発言は、ワイドショーなどの芸能ジャーナリズムによって「開き直った石田純一が『不倫は文化だ』と言った」ことにされて巷間に広く流布されることになったが、実際の発言はとてもそういうニュアンスとは受け取れない。むしろ、得意顔で石田をとがめるようなことを言うリポーターに対し「このネタでメシ食ってるくせに何を偉そうな」という嫌味を、最大限オブラートに包んで言ったようにも感じられる。


俳優としてもタレントとしても、石田純一にとくに興味はないが、この時ばかりは彼のセンスに感心したものであった。


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ぼくは先日、映画『ゴールデンスランバー』を観てきた。

ゴールデンスランバー~オリジナルサウンドトラック~

ゴールデンスランバー~オリジナルサウンドトラック~

この作品中に、首相暗殺犯に仕立て上げられた堺雅人が、父親の伊東四朗がリポーターに囲まれるのを、テレビで見る場面がある。


ここで伊東四朗は、「親としての責任をどうお考えですか!」などと迫るリポーターに「お前はなんだ、どこの誰だ名前を言え」「お前らは息子の何を知ってるというんだ。おれはあいつが裸で生まれたときから知ってるんだ」と気丈に対応し、けっして世間の圧力に屈することなく、あくまで息子を守る姿勢を見せる。劇中でも屈指の「泣かせる」場面であり、ぼくが観た満員の劇場でも、観客のすすり泣く声が聞こえた。


昨年の11月に、イギリス人女性を殺害した容疑者の市橋達也が逮捕されたとき、両親が自宅前で記者会見をしたときのことを思い出した。


ゴールデンスランバー』の伊東四朗と違って息子をかばうわけではなかったが、市橋のあの特徴的な風貌に瓜二つの父が、冷静に頭を下げながら息子への思いを切々と語る姿には、感じるものがあった。


リポーター陣は「親としての責任をどうお考えですか!」とお決まりの文句を投げかけるが、どんな極悪人の親にも、ワイドショー屋に向かって頭を下げる責任など、あるはずがない。


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いま開催中のバンクーバー冬季五輪だが、ぼくが知っている選手は、浅田真央安藤美姫織田信成上村愛子、あとカーリング本橋麻里。そんなもんである。競技のことはよく知らない。スピードスケートとショートトラックの違いとか、アルペンスキーとかノルディック複合とか言われてもなんのことかわからない。ライフル持ってスキーをするのは、えーとバイアスロンとかいったかな。そんなレベルである。


スノーボードのことはまったく知らない。何をどうすれば勝ちになるのかルールもわからないし、ましてや国母和宏なんて選手は見たことも聞いたこともなかった。


そんな選手が、飛行機に乗るときにズボンをゆるくはいていた(式典でもなんでもない移動時に!)というだけで、いまや亀田ファミリーなみのバッシングにさらされている。彼は何も八百長試合をしたわけでも反則をやったわけでもない。それ以前に、ほとんどの人は国母が滑っているところを見たこともないはずだ。単に「シャツをINしなかった人」が、ここまで悪名を轟かせ、大臣が「遺憾の意」を表するまでに至ったというのはおそらく前代未聞であろう。


国母選手は、記者会見で「指摘は受け入れて納得したんですか!」と詰め寄るリポーターに、うんざりした様子で舌打ちをして「反省してます」と言っている。ふてくされているのは確かだが、「反省してま〜す」というのはやや誇張がすぎる叙述だ。


この会見に関して、こんな記事も出ている。


http://www.j-cast.com/tv/2010/02/15060106.html

「カメラが腐る」スノボ国母会見 現場記者が嘆いた理由

<テレビウォッチ>スノーボード国母和宏選手の服装および公式会見ふてぶて問題は一瞬業火のように燃え上がったが、国母が2月12日に日本選手団橋本聖子団長とともに一転神妙な態度で謝罪し、聖火前には鎮火した模様だ。

「『チェッ』と」

スタジオのテリー伊藤は「なんでこういうふうに(国母を)追い込んでいくんだろう。よその国は彼を全然批判してない。日本だけが批判している。敵を見つけすぎですね」と、ここがヘンだよ日本人的コメント。


一方、番組コメンテイターでコラムニストの勝谷誠彦は「現場の記者(カメラマン)」からメールがあったと言う。それによれば、件の謝罪会見は「取材していて、こんなに嫌な記者会見はなかった」んだそうな。

「橋本さんがこう喋れと囁いてるのに、(国母は)『チェッ』っとか言ってるわけですよ。ここ(スッキリ!!)では流れてないけど。カメラマンは『カメラが腐るかと思った』と言ってましたよ。それぐらい嫌な気持ちになったと」

そりゃあ、現場の記者にとっては、嫌な会見だったことだろう。おれたちに向かって頭を下げろ、と言う要求が通じなかったのだから。『ゴールデンスランバー』の伊東四朗と同じだ。あの、観客が喝采を送った場面だって、リポーター陣にとっては「嫌な取材」であったに違いない。


オリンピック選手は、選ばれし人間だ。選ばれてあることの恍惚と不安と、そして全力で戦う責任が、彼らには負わされている。


しかし、どんな選手にも、ワイドショー屋に頭を下げる責任など、ない。