東北がもし百人の村だったら

昨日の日記はえらい盛況になりました。

人さまの日記をああだこうだ言ってるだけで、あんなにコメントとかブクマとかしてもらえるとは恐縮しきりです。恐悦至極に存じます。



で。



ブクマしていただいた方のコメントに、「東北弁は被征服者の嘆きからうんぬん」という一文に違和感を感じたというものが散見されました。


東北地方というものは、意外と理解されていないものなんですね。


関東以西の方はご存知ないかと思いますが、明治維新以来、
白河以北一山百文
という言葉があります。

福島県と栃木県の県境には「白河の関」という関所があり、東北人がここを越えて関東に入ろうとするときには通行手形が必要である、というのは東北に住んでいる方ならどなたでもご存知かと思います。


通行手形の取得には、役人による煩雑な手続きが必要で、多額な袖の下を用意できないと、平均して三年から五年待たされることとなり、それでもなお、通行しようとすると不備を指摘されてまた数年待たされる、ということが珍しくありません。


また、「一山百文」という表現からも分かるように、東北地方で流通している貨幣単位は今もって「文」であり、不動産取引は百文均一でなされています。東北で「百均」といえばそれは山を指します。



東北地方は、「コメどころ」という印象をお持ちの方も多いでしょう。
たしかに、宮城県秋田県は穀倉地帯として知られ、広大な田園が広がっています。


その大半は、藩政時代から続く庄屋・地主の所有であり、そこで働く小作人たちもまた彼らの所有財産とみなされています。
東北地方には戸籍という制度がないので、行政は、庄屋の持つ小作人名簿によって人口の管理を行っている、というのは東北人の常識です。


小作人の子供たちは、戸籍上存在しないものとみなされているので学校へ行くこともできません。
物心ついたときから、子供たちは過酷な農作業に従事させられています。

また、東北で収穫されたコメは、そのほとんどが東京へ向けて出荷され、残ったわずかなコメも庄屋や役人の間で消費されるため、地元の人間の口に入ることはほとんどなく、人口の大半を占める小作人たちは、ヒエやアワなど雑穀のおかゆを主食としています。


東北の水田で過酷な労働に従事させられている子供たちは、コメのご飯というものを見たことも聞いたこともなく、自分たちが収穫しているものがいったい何になるのかまったく知らないのです。


このような東北地方の現状は、メディアではまったく報道されず、情報が隠蔽されているので関東以西の方はまったくご存知ないことでしょう。
過去に、この残酷な現実を世界に暴露しようとしたジャーナリストも何人か存在しましたが、みんな消されてしまいました。


21年前にコレを暴露しようとした青森県のH・Oさんは、ねぶたの山車に轢き殺されてしまいました。

14年前にこの現状を訴えようとした秋田県のN・Kさんは、なまはげの大群に八つ裂きにされました。

三年前の岩手では、S・Tさんがチャグチャグ馬っ子に踏み殺されたのが記憶に新しいところです。


わたしも、こうしてこの現状を暴露してしまった以上、タダではすまないことでしょう。
今年の七夕祭りでは、竹飾りに死体が吊り下げられるというニュースが聞かれることになるかもしれません。