諸君 私は非モテが好きだ
モテない男性、女性に縁の無い男性のことを「非モテ」とか「喪男」などと称します。
最近知ったのですが、この二つは違うもののようで、はてなダイアリーでは「非モテ」が、2chでは「喪男」が主流になっているようです。
喪男道 非モテと喪男
(↑喪男系ではかなり有名なサイトらしい)
キーワードの使われ方を見ても、たしかにはてなでは非モテがよく使われる傾向がありますが、言及している日記を見ていくと、上の文中にあるような「特別な侮蔑やイジメを受けなかった」人たちとは思えないけどなぁ。
非モテと喪男がどう違うのかわたしにはよくわからないし、自分がどちらかに所属しているとも思えませんが、かといって自分がモテる側の人間というわけではありません。
というより、世の中にわたしより女性にモテない男性はそういない、と自負しております。
おそらく、全世界30億人ほどいる男性のうちで、少なくとも上位(下位?)千人のうちにはランクインしているはずです。
理由は大まかに言って三つ。
- 外見が、常軌を逸して醜い。
- 人格が、常軌を逸して歪んでいる。
- そんな自分が大好きだ。
↑この三つ目のが重要なんだと思うんですよ。
要は、わたしは好きで非モテ/喪男やってる*1んですね。
「容姿などの『恋愛資本主義的尺度』で 侮蔑や虐待(イジメ)を受けて心身にトラウマを負った存在」が喪男であり。
「特別な侮蔑やイジメを受けなかった」のが非モテである。
とするならば、わたしは非モテに分類されるようです。
友人や家族、職場の人々はみんな「おめぇはそれでいいや」という猪木イズムにのっとった扱いをしてくれましたからね。
で。
なぜ非モテと喪男が共闘できないか、と論じるエントリを見せていただきました。
喪男道 モテナイ男の団結
モテ系の男性は「目的のためなら手段を選ばない」が、モテナイ男性は「手段に拘りすぎて目的を見失い易い」ということなんですね。
前者はマキャベリの君主論の初歩としてよく言われることですが、後者の典型である人物もよく知られています。
「HELLSING」に登場する、吸血鬼1000人からなるナチス残党「最後の大隊」最高指揮官である「少佐」です。
- 作者: 平野耕太
- 出版社/メーカー: 少年画報社
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少佐は、「世の中には、手段のためなら目的を選ばないというようなどうしようもない人間も確実に存在するのだ。つまりは、とどのつまりは、我々のような」と、ヘルシング卿インテグラとアーカードに対して宣戦布告を行っています。
この漫画に登場する人物は、少佐の他にも、吸血鬼アーカードにせよ、神父アンデルセンにせよ、戦うこと自体が目的になっている人(もしくは魔物)ばかりです。
同じ「魔物の殲滅」という目的を持ったヘルシング機関とイスカリオテ機関がお互いに殺し合うように、非モテと喪男も対立するもんなんでしょうか。
そうなると少佐はどこに入るんだろう。
なんか、みんな「俺たちこそが少佐だ!」と言いそうだ。
非モテと喪男のはざまにはモテの哲学では思いもよらないことがあることを思い出させてやる。
*1:これは、「いつでもその気になればモテになれる」という意味ではないので誤解なきよう。