元祖・コンス鑑定士

地獄インターネットではよく「私の人生を変えた○○冊」なぞと称してビジネス本やらポジティブシンキング本やらを紹介する、自称やり手ビジネスコンサルタントみたいな人がわさっと存在するけど、そもそもどんな本だって読んだ人間に良かれ悪しかれ影響を与えるものであって、他人が「これを読んで人生変わった」から自分も読もう、などというのは自分の人生を自分で決定する意志に欠けた行動であり、惰弱と言うよりほかはない。


などといかめしい書き出しから始まったのは今日が涼しいからである。気温の上下によって変動する、われながら実に惰弱な人間性であるが、そんな自分にもバイブルというべき本はいくつか存在する。強い影響を受けた本といって思い浮かぶのは、町山智浩編集による「映画秘宝」創刊号『エド・ウッドとサイテー映画の世界』や、平山夢明『異常快楽殺人』、泡坂妻夫『亜愛一郎の狼狽』、大藪春彦野獣死すべし』などいろいろあるが、中でも特異な地位を占めているのが、城市郎による一連の「発禁本」シリーズである。

城市郎の発禁本人生 (別冊太陽)

城市郎の発禁本人生 (別冊太陽)

かつてのわが国には書物の検閲制度があり、性描写が過激なものは「風俗壊乱」、社会主義的な思想のものは「安寧秩序紊乱」との咎により発禁に追い込まれた。戦後にはこれらの制度は撤廃されたものの、刑法に定められたわいせつ物頒布罪により摘発された書物や、名誉棄損やプライバシーの侵害、著作権侵害などにより出版差し止めがなされた書物も俗に「発禁本」と呼ばれ、収集家の間では珍重されているのである。


そういった「禁書」を紹介する城市郎の著作は、独特のクセがあるノンシャランな文章はやや読みづらいものの、かつての日本社会が持っていた強固で偏狭な道徳観がよく見えて非常に面白い。妻のある男が浮気をする小説は許されていたが、夫のある女が浮気をする小説は「風俗壊乱」として発禁に追い込まれ、とくに出征軍人の妻や戦争未亡人が恋愛をする物語は固く禁じられていたあたりは、近年の芸能界スキャンダルにも通じるものがあって興味深い。

で。


きょう取り上げるエピソードは、昭和16年に、丹羽文雄の『中年』が「酒場のマダムや妾を小説の人物に登場させたことがけしからん」「そういう人間を描く作者の精神が、非協力的であり、時局の認識に欠けている」として発禁に追い込まれた項の挿話で、小さな話ではあるが、ものすごく現代に通じるものがあると思うのでここに紹介する。


書きづらいのでここからですます調に変えます。


『中年』が発禁になる前年、昭和15年のこと。陸軍情報局から「サンデー毎日」の編集長に出頭命令が出ました。編集長と記者が出向くと、担当の少佐は「これは何だ!」と「サンデー毎日」の一冊をポンと投げます。
編集長たちには何のことかわかりません。その表紙は、京都の大原女が薪を頭に乗せて行商をしている姿を描いたもので、有名な京都の風物詩です。社会を乱す要素は見つかりません。


https://www.okeihan.net/navi/kyoto_tsu/tsu201205.php
京阪電車による、大原女を紹介するページ)


しかし少佐は「この表紙の絵は何だ。頭にものを乗せて歩く、これは朝鮮の風俗だ」としわがれ声で決めつけたというのですから、何やら、お辞儀やら水飲みやらに発狂するお歴々を思わせるものがありますネ。


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(両手をおなかの前に組む、デパートや航空会社で女性従業員がよくやる独特のお辞儀を「朝鮮式の『コンス』だ」と主張する、元皇族出身の自称憲法学者


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美味しんぼ』が広めたデマというと「離乳食にはハチミツを入れると良い」「福島県で取材をすると鼻血が出る」「四国出身のおじさんに四万十川の鮎を喰わせると泣く」などがありますが、もっとも深く浸透しているのが「朝鮮飲み」でしょうね。まあ、漫画では酒席でのマナーとして紹介されたのであって、国会議員がテレビに映る場面でのマナーではないんですけど。



そして、何でもない表紙絵にワケのわからないケチをつけられた「サンデー毎日」は、表紙絵を「桃太郎の人形」「赤ちゃんの笑顔」果ては「兵隊さんの敵前上陸」などに変えていくのを余儀なくされたのでありました。