サブカルの定義

宗教ジャーナリストの小川寛大氏による、こんなツイートを見かけまして。




こういう「サブカルは作品が好きなんじゃなく、作品を好きな自分が好きなだけ」みたいな物言いはよくありますね。だいたい萌えオタの人とかミリオタの人とかよく言うのね。


で、これに対するはてな村の村長の反応がこちら。


こういう話は後を絶たないので、この辺でびしっと「サブカルとは何か」を定義しておきたいと思います。


オレに言わせれば、「サブカルとは何か」なんてのはごく簡単な問いです。


いわく、

サブカルとは、みうらじゅんである」

みうらじゅんの映画ってそこがいいんじゃない!

みうらじゅんの映画ってそこがいいんじゃない!


何らかの事象を目にしたとき、それがサブカルなのかそうでないのか。これを判断するには、いかにみうらじゅん的かどうかを指標にすればよろしい。みうらじゅんに近づけば近づくほど、それがサブカルになる。そう思えばまず間違いおまへん。


みうらじゅん自身を100みうらとした場合、そうですね、ぼくの肌感覚でいうと、


こんな感じになりますかねえ。数字の根拠? そういうこと言う人はぼかぁ嫌いだなぁ。なお大塚英志は「サブカル」という言葉をほとんど「おたく」と同じ意味で使ってるので、あんまりみうら的ではないと感じます。エヴァンゲリオン映画秘宝以上にサブカル的になっちゃうのは自分でもおかしいと思いますが、それは杉作さんのせいなので勘弁してください。あとボブ・ディランは神なので通常の物理法則は通用しないものと思ってください。