さよなら地獄の料理人

元関脇・若秩父の加藤高明さん死去 75歳 豪快塩まきで人気 ― スポニチ Sponichi Annex 相撲 元関脇・若秩父の加藤高明さん死去 75歳 豪快塩まきで人気 ― スポニチ Sponichi Annex 相撲

 大相撲元関脇・若秩父、元日本相撲協会監事の加藤高明(かとう・こうめい)氏が16日午後6時45分、肝不全のため東京都三鷹市の病院で死去した。75歳。埼玉県出身。葬儀・告別式は23日午前11時半から東京都杉並区井草1の3の10、杉並セレモニーホール=(電)03(3395)1500=で。喪主は長男治(おさむ)氏。

 54年夏場所花籠部屋から初土俵を踏み、58年秋場所に19歳で新入幕。富樫(後の横綱柏戸)らとともに「ハイティーントリオ」と注目され、豪快な塩まきも人気があった。1メートル75、150キロの体を生かした左四つ、寄りで63年名古屋場所新関脇。糖尿病に苦しみながら、幕内在位51場所で敢闘賞を2度受賞した。68年九州場所限りで引退後は常盤山親方として後進を指導した。

若秩父ーッ。―○●の世界を生きて50年

若秩父ーッ。―○●の世界を生きて50年

ぼくぐらいの世代だと、さすがに現役時代の姿を見たことはありませんが、「若秩父」の名は「地獄の料理人」の異名ともども、深く心に刻まれています。

  • なぎらけんいち 悲惨な戦い


1973年にリリースされた、なぎら健壱の代表曲のひとつ“悲惨な戦い”は、蔵前国技館で大相撲の取り組み中、力士のまわしが取れたという架空の珍事をネタにしたコミックソングですが、放送局の自主規制により、長年にわたって放送禁止曲として扱われてきました。

放送禁止歌 (知恵の森文庫)

放送禁止歌 (知恵の森文庫)

この曲の主人公が、「かたや巨漢の雷電と」「かたや地獄の料理人、若秩父」でした。雷電というのは江戸時代の伝説の力士である雷電為右衛門のことで、若秩父と対戦するはずはないのですが、そのミスマッチもギャグのうちでしょう。歌の中では「10年以上前の」できごととされており、若秩父は1968年に引退しているので、こちらの時代考証は合っています。
ただし、「地獄の料理人」などという異名がついていたはずはもちろんありません。これはプロレスラーのハンス・シュミットにつけられたキャッチフレーズです。ハンス・シュミットは本名をガイ・ラローズというフランス系カナダ人ですが、顔がドイツ人っぽいという理由で「ハンス・シュミット」というドイツ風のリングネームに改名し、ナチス・ドイツ・ギミックの悪役として活躍しました。日本では「地獄の料理人」というキャッチフレーズとともに紹介されましたが、これは日本限定で本国ではそんなニックネームはついていませんでした。このフレーズは若秩父のイメージにまったく合っていませんが、そのミスマッチもギャグのうちでしょう。


昔のフォークソングでは、ライブを繰り返すうちに歌詞がどんどん追加されて長くなっていくことがよくありましたが、この曲も例外ではなく、「土俵際の魔術師」「相撲界で唯一の凶器の使い手」など若秩父の凶悪さはどんどん増していき、さすがに実名ではまずいと思ったのか「墓秩父」という名前に変えられてしまったのもです。


本家「地獄の料理人」ハンス・シュミットは2012年に亡くなりましたが、和製「地獄の料理人」若秩父もこのたびお亡くなりになりました。天国で雷電との対戦を実現させてほしい、という不謹慎なフレーズをもって、この追悼(になってない)エントリをしめくくりたいと思います。



私はかってあのような 悲惨な光景を見たことがない……