アイスの思い出

おれは水道もないスラムで育った。




馳星周のような書き出しだが、「日本にそんなところあるの?」と驚く人もいるかもしれない。あったんだよ、少なくとも30年ほど前までは。
手押しポンプの井戸ってのを見たことはないかい? 観光地の神社なんかにあるだろう。あれが長屋の真ん中にあって、そこで主婦が水仕事をする。そんな生活様式がまだその時代の、ある地域にはギリギリ生き残っていた。井戸端会議ってのがリアルにあったんだ。当然トイレはくみ取り式だし、風呂もないから銭湯へ行かなければならない。1980年になっても、そんな生活をしている人がいたんだよ。


別に、だから「悪そうな奴はだいたい友だち」とかそういうことを言うつもりはない。そもそもおれがスラムに住んでいたのは3つか4つのころのごくわずかな期間だし、うちの家族はそこまで貧乏なわけでもなかった。
ただ、おれの兄貴が小学校に入るにあたって、通いやすい場所に居を構えなければならなくなった。ところが当時、おれの住んでいた町は住宅事情が極端に悪く、子ども連れの若い世帯が入れる物件がそこしかなかったのだ。


とにかく汚いところだった。


床は傾いて畳が波打っていたし、柱は垢じみてテラつき、たばこのヤニがしみ込んだ壁は黄色を通り越して茶色くなっていて、いつでも、何匹ものでかい蝿が、我が物顔で部屋の中を飛び回っていた。


住宅も最悪なら、住民もひどかった。


同世代のガキが何人もいたが、字が読めるやつは皆無で、どこの家庭にも一冊の絵本すらなかった。まともに言葉をしゃべれないやつすらいた。着ている服は垢がしみついていて、袖が鼻水で光っているようなやつばかりだった。
親がちゃんと働いている家庭は珍しかった。たいていの親はアル中で、昼間から一升瓶を持って歩く親父を何人も目にしていた。母親たちも似たようなものだった。


おれたち家族はあのスラムでは裕福なほうだった。親父がちゃんと働いていたからだ。ほかのガキよりは格段にきれいな服を着ていたし、おれはウルトラマン怪獣図鑑をふんだんに買い与えられ、そのおかげでひらがなとカタカナは読み書きができた。近所のガキどもからすれば、おれは相当な異分子だったにちがいない。


おふくろが、おれや兄貴にアイスを買い与えることがあった。そんなときは、近所のガキどもがおれたちの周りに集まってくるのだ。「舐めさせて」「舐めさせて」と言って。衛生観念の発達していない子どものことだから、おれも何の気なしに舐めさせてしまう。ろくに歯も磨いていない、味噌っ歯だらけのガキどもがおれたちのアイスを舐めているのを見て、おふくろは「汚いからもうあげちゃいなさい」と言うのが常だった。


そんな生活に、さすがにおふくろが音を上げた。ちょうどおふくろがおれの弟を妊娠したこともあって、こんなところでは育児ができない、となった。ちょうどそこで近くに空き物件ができて、ようやくスラムから脱出することができたのだった。新しく移った家もかなり古い建物で、家の外に便所と風呂があるような作りだったが、それでも格段にマシな生活になった。



そんな昔語りをしているのは、こんなtogetterまとめを目にしたからだ。


「搾取される感じがするものはとにかくもう嫌なんですよ」 - Togetter 「搾取される感じがするものはとにかくもう嫌なんですよ」 - Togetter


筑波大学の学生が、生活保護受給者や年金生活者の権利を制限すべきではないかと先輩に相談してたしなめられている内容である。こういうことを言い出すやつは多い。別のところではこんなのも目にした。


生活保護は働け〜!!  うつは甘えだ〜!! というテンプレートの阿呆が居た。 - Togetter 生活保護は働け〜!!  うつは甘えだ〜!! というテンプレートの阿呆が居た。 - Togetter
ここで晒されているバカは「働かざる者食うべからず」というフレーズがずいぶんお気に入りのようだが、これは本来、生活保護受給者のような下層民を対象にした言葉ではない。労働者からの搾取による不労所得で生きている、ブルジョワ階級に向けられた言葉である。マルクス読まんかい。



こっちのバカに比べれば、筑波大の学生はまだいくらかマシだ。自分が育った生活レベルを、自分の世代では維持できないというのだから辛いことには違いない。しかし、おれはこの学生の、このつぶやきには戦慄した。


貧乏人が生きることの意味がわからん、というのだからすごい。自分の所属を明らかにしていて、よくこんなことが言えるものだ。ブルジョワ階級もいいところだな。なにがアッパーミドルだ、キックボクシングのコンビネーションじゃあるまいし。


貧困者だって生きることに執着する。当たり前のことだ。金持ちだけが喜びを感じて生きているわけじゃねえんだよ。このブルジョワ階級のガキは「死ぬ権利も保障すべき」なんて言っているが、貧困層は別に、死ぬ権利がないから死にたいのを我慢してるわけじゃねえんだよ。死ぬ権利なんか誰にだってある。年間三万人以上も自殺者がいるのを見ればわかるじゃねえか。それでも生きてるんだよ。たいていの人間は、いくら困窮してもやっぱり死にたくねえんだよ。


この学生はまだ若いから、身の丈に合わない、主語の大きなことを考えて年長者にたしなめられることもあるだろう。具体的には知らない社会の抽象論を弄して、無駄に主語をでかくするのは若者の特権だ。自分の本音が社会の総意だと勘違いできるのも、あとわずかな期間だけだ。今のうちにたくさんものを考えて、たくさん会話しておくとよろしい。


だが、これだけは覚えておけよ。


貧しい人間も、それでもせいいっぱい生きてるんだよ。社会保障を搾取というなら、国立大学生のお前はむしろ搾取してる方の立場なんだ。そんなブルジョワ階級が、貧困者は切り捨てるべきなんておこがましいぜ。貧困ってのはアイス持ってたらガキが寄ってくるような、そんなせつねえものなんだ。それを知らずに貧困者をどうこう言うのは、病気のことを何も知らないくせに「うつは甘え」なんて言うのと同じだぜ。